2016.02.14_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】
2016. 2. 14.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

 

私の切なる願いはあまり残されていない生を尽くして文章を書くということである。私は多く勉強することができなかったが、むしろそれが恨みのようになり、文章を書くことや読むことを祝福と考えてきた。熱心に読んだり、学んだり、書いたりして他の人には不可能なほどの多くの本も執筆してきた。これは私がこの世にいる間よりも私がこの世を離れたのちにその効力が現れるようにするためであった。私がこの世にいる間にすべきことをすべてすることができなかったとしても、私がこの世を離れたのちにでも続けて働くためであった。
私はむやみに文章を書くのではない。文章を書くために1年、あるいは数ヶ月間、神に「私に文章を書くことができる霊感と知恵と知識を加えてください。」と祈り、その祈りの応答を受けたときに初めて「ペン」を取る。そして、一字一字を私の随筆として書き進めていく。機械に入れておいたのちにではなく、私の霊魂と脳、そして、胸に入れておいたのちに、手を使って一字一字を書き進めていく。他の人々は理解することができなかったり、信じなかったりするかもしれないが、私はこれまでそのようにしてきた。神から出て来る霊感を記録してきた。
それゆえ、私の文章は聖霊がともに働かれ、読む人に必ず感動や力、しるしを伴わせる。私はそれを否認することができない。「私が書いた本を家に置いておくのであれば、今すぐには時間がなかったとしても、のちにでも読むことができる。あるいは子孫であってもその本を手にするのであれば、彼らから大きな働きが現れる。」と私は確信する。
私が書いた文章はなるべく最初に出版された本から読んでいくのが有益である。新来者、あるいは私の本に初めて接する者に新刊を勧めるのは無理であると考える。私は木が根を下ろすように苗木を植え、次には木と枝を育て、花を咲かせ、そののちに実を刈り取るように執筆している。それゆえ、最初に書いた本から読んでいくことを勧める。そのようにしてこそ、バランスをもって霊感を得ると確信する。そのようにするのであれば、誰でもこの御言葉が岩から出て来る生ける水であるということを知るようになる。その岩は「イエス・キリスト」でおられる。イエスのために書いた本ではなく、イエスが語られた御言葉を宣べ伝える働きをするだけである。
私は本を書くときにまず前書きを書き、そののちに本論に入る。それゆえ、「必ず前書きをよく読まなければなりません。」と勧める。まず前書きを消化してこそ、その本の内容をよく理解するようになる。急いで読むのが重要なのではない。その御言葉を受けようとしなければならない。「そのようにするのであれば、神の力と霊感によって書いたその本の内容がまさに自分の祝福となる。」と確信する。神の御言葉は祝福である。その方の賜物である。

 

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室