2016.03.27_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2016. 3. 27.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

人間は母胎ですべての器官が作られ、10ヶ月後に完全な人間として生まれる。そして、人間らしい人格を備えるために生まれてからこの世を学ぶ。勉強をしたり、名誉を得たり、お金を稼いで金持ちになったりする。しかし、肉体という物理的な限界にぶつかって、ある日、この世を離れる。これを「生涯」といったりもする。

しかし、肉体が得たものをもって、また、その人格だけをもって永遠のいのちに入って行くことはできない。肉体と霊魂が分離されるときに、肉体に属したすべてのものを捨てるようになる。また、霊魂は神が定められた通りに裁きを受けなければならないし、その罪の価を受けなければならない。神はこのような道理を予め知っておられたために、人間を憐れんで生かすために御子をこの世に遣わされた。

御子がこの世に遣わされたのは父なる神の御心をなすためであった。イエスがこの世に来られたのは神がこの世に与えようとされた信仰を与えるためであった。イエスは、すなわち信仰である。その信仰の価値は神のひとり子と同じである。それゆえ、信仰をもつ者は神の御子をもつ者であるし、神の御子、すなわち信仰をもつ者は神の御子の価値を得た者である。それゆえ、神を父と呼ぶことができるし、神の子としての栄光を受ける。

この信仰は肉体にあるのではなく、霊魂にある。それゆえ、肉体はなくなったとしても、信仰は永遠になくなることなく、霊魂が行く「パラダイス」にともに行き、「神の国」、すなわち永遠に生きるところまで行き、永遠にともにするようになる。信仰は一時的にもったのちに捨てるものではなく、永遠にもつものである。この世の名誉はパラダイスにもっていくことができないし、物質も、知識ももっていくことができない。しかし、信仰はもっていくことができる。信仰の価値は永遠にもっていくことができる。

神が私にこの信仰を与えてくださったために、私は大きな価値をもっている。指にはめる宝石の指輪がどんなに高価であったとしても、天下よりは小さいし、また、決して天にもっていくことができない。天に行くときにはっきりともっていくことができるのはただ信仰だけである。信仰という価値は神のひとり子と等しい。信仰が神の御子であるように、私の霊魂の価値は神の子としての栄光を受けるものである。天にいる天使も否認することができないし、律法も否認することができない。ましてや悪魔も否認することができない。私が信仰によって悪魔と悪霊に勝利するのは彼らの力によっては信仰を否認することができないためである。

「神が私に信仰を与えてくださったために、私の中に信仰がある。」という事実が聖霊によって認められ、印を押されなければならない。ああ! どのような財産よりも大きな価値、「信仰」。

 

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室