2016.04.10_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2016. 4. 10.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

 

いつの間にか私にも晩年が近づいてきた。この地で働くことができる時間は多くない。いつでも主が召されるのであれば、手にしていたことをすべて置いて、すぐに離れなければならない。私にはその日を準備する心が満ちている。
私はこの世にとどまっていた多くの日に何の価値があったのかをじっくりと考える。肉体はこの世に従いながらも、霊魂は神を愛する心によって生涯を送ってきた。私の前にはただ主が与えてくださる報いだけがあるために、一方では恐れ、もう一方では喜ぶ。私がこれまで熱心に教えてきたのは主から受けたものであるために、肉体に何も残さないで、すべてをこの世に注いで行こうとする。
ある人は「金箕東(キムキドン)牧師は突然変異のような特別な存在である。」というが、これは不信仰であり、神の御言葉を信じない者の言い訳である。平凡な者が神の力と恵みを受けて働いただけであるが、これを認めようとしない。このようにして自分の無能さと怠惰を正当化しようとするのではないだろうか。
私は生涯、自分を誇らないで、ただ主だけを語ってきた。これは主から受けたものであったためである。それゆえ、教会員だけではなく、私に来て学んだ者にも「視無言(シムオン)は特別な人ではなく、極めて平凡な者であり、ただ神を信じて神に従う者である。」ということを再度、強調したい。私にあるものを誇るために説教するのではなく、すべての人が私のように神の力と恵みを受けてともに働くことができるという信仰を伝えたい。
私には大きな悩みがある。それはこのままでは視無言(シムオン)は伝説の存在となってしまうのではないかという悩みである。私たちの教会が力を失い、視無言(シムオン)がした働きを続けないのであれば、視無言(シムオン)は結局、伝説の存在となってしまう。そのようになれば、私たちに何の益があるだろうか? 私に来て学ぶ者も巧妙な用語だけを聞いてそれをただ引用する愚かな者とならないで、私のように純粋に信じて狂った者のように実践するのであれば、誰でも力をもつ。しかし、祈らないで怠けようとする者は視無言(シムオン)を伝説の存在と考える。
私は伝説の存在ではない。主の御言葉は常に生きていて続けて催促する。主は「私が父なる神の中にいることによってその方の働きをするように、あなたがたも私の中にいることによって私がした働きをするし、また、それよりも大きな働きもする。」といわれる。そして、「私を信じる者は私の名によって悪霊を追い出し、力を行う。」といわれる。
視無言(シムオン)を伝説の存在にしないで、イエスの中で力ある信仰をもちましょう。

 

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室