2016.05.15_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2016. 5. 15.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

 

この世で最も貴いものや価値があるものをすべて子どもに与えてその栄光を受けようとするのが父の心である。このように父なる神は創造したすべてのものと最も高い天の御座を御子に与えられた。そして、それによって栄光を受けようとされた。これがその方の義であり、真理である。それゆえ、イエスもこのような父の御心をこの世に知らせ、また、その御心を成し遂げようとされた。
ある人は「神は利己的な方でおられる。」というが、自分のものを自分の思い通りにすることができる方が神でおられる。神のものはすべて御子に与えられたし、その栄光を受ける方は神でおられる。子どもに与えるものを犬に与えて喜ぶ父がこの世にいるであろうか? このように神が願われるのは御子によって栄光を受けることである。それゆえ、「あなたがたは神の義を求めなさい。」といわれた。「どのようにすれば、神を喜ばせることができるであろうか? どのようにすれば、神に栄光をささげることができるであろうか?」と常に渇望するのが私たちの信仰心である。
私はこれまでの半世紀、ただイエスの働きをしようと全身全霊を尽くしてきた。今は一線から退いて後方で同じ働きをしようとするが、それが月山(ウォルサン)文学である。これは高い山にトンネルを掘り、川に橋を架けて近づきやすくすることと同じである。それゆえ、これは私がすべき重要な働きである。
私は文学を通して人間学を学ぼうとしてきた。牧会は神から出て来る聖霊と真理によってイエス・キリストを探していくものであるし、文学は人間と土からイエス・キリストを探していくものである。神から出て来る聖霊と真理によってイエス・キリストを探していく道は聖い道である。しかし、人間と土からイエス・キリストを探していく道は険しい道である。
義からイエスを探す道が先であり、不義からイエスを探していく道が後である。「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ。」という神の声が天から聞こえてきたために、次は「私は罪人であり、土です。」と告白してその方の御前に出て行く。
信仰告白とは天で義とされることによって、また、地で「悔い改めます。」と近づいていくことによって神と人間の間におられるイエス・キリストを認めるものである。天から出て来た信仰は「イエス・キリストは神のひとり子であり、キリストでおられる。」と告白するものである。神の御子というのは「義人」という意味であるし、キリストというのは「私のような罪人を生かしてくださった救い主」という意味である。
恥ずかしながらも、私は文学を通して不義なる人間が神を探していく道を歩む。私は土から出て来た不義なる人間である。その人間が主を探していくのである。

 

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室