2016.06.05_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2016. 6. 5.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

 

私が生涯、文章を書きながら感じるのは韓国語ができることに感謝するという点である。韓国語はさまざまな表現が可能であり、また、深さや高さ、重さをよく現すことができる科学的な言語であるという。私は誰よりも韓国語を多く使っているが、常に韓国語をすべて使い切ることができていないと考えている。
ある大学生が私に手紙を送って来たが、その文章はとても下手であった。私はその大学生が英語や他の外国語は上手なのかもしれないとも考えたが、「韓国語がもう少し上手であればよかったのに。」と残念に感じた。私が英語や他の外国語が上手ではないにもかかわらず、韓国語さえも上手ではないというのは非常に恥ずかしいことである。神の御言葉は神の考えと御心をそのまま伝えなければならないために、韓国人は韓国語が上手でなければならない。韓国語の実力や文章の力がないのであれば、決して神の御心を完全に現すことができないし、それゆえ、伝えることもできない。
生涯、文章を読んだり書いたりするのであれば、脳が活発に活動し、決して認知症にかからないという。読むことや書くことを忘れてしまった者は認知症にかかる確率が高いという研究結果もある。しかし、イエス・キリストの人は神の御言葉は読むことも、書くこともできるためにそのような心配はする必要がない。それゆえ、御言葉をよく聞き、聞いたことを他の人に伝えることによって脳の活動が活性化される。しかし、聞くことができないのであれば、話すことができなくなるし、聞いたとしても話さないのであれば、聞いたことを忘れてしまう。そして、結局、その効果はなくなる。
年を取れば、声をよく聞くことができない。はっきりと聞くことができないために突飛なことをいうようになり、それによって他の人から非難を受けるようになる。これらはすべて病気の症状なのかもしれない。文章は幼いとき、すなわち小中高生のときにしっかりと学ばなければならない。韓国語は道端やどこであってもすぐに聞くことができるために、熱心に学ばなかったとしても上手になると考えるのであれば、それは愚かな考えである。
私は老いて「幼いときに何よりも国語をよく学んでおけばよかったのに。」という後悔を捨てることができない。学生は熱心に文章を読み、書き、また、学んで、何よりも韓国語が上手になることを願う。すべての知識は一時的に維持されるものであるが、言語は死ぬ瞬間まで続く、自分の人格であり、精神であり、心であり、知識であり、感情であるし、また、神と交わる大きな霊感となる。
年を取った者は説教をよく聞き、聞いたことを家族や他の人に話して伝え、自分を認知症から遠ざけなければならない。認知症にかからないためには聖書を読み、随筆や詩を書き、毎日、日記を書くのがいい。

 

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室