2016.06.12_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2016. 6. 12.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

 

誰かが私に「80年間、生きてきたこの世はどのようなところですか?」と尋ねるのであれば、私は悩むまでもなく、「悲しみにあふれたところです。」という。私はこのように悲しみにあふれたこの世を生きてきた。それゆえ、この世に対する未練も、懐かしさもない。私に天の望みがなかったのであれば、私は厭世主義者となったであろう。しかし、私はこの世を経て高い神の国に行くという望みに満ちている。
夢のようなこの世のことを再び考えるのであれば、私の目から涙が乾くことはない。しかし、神の国は涙もない、幸せな霊魂の国である。私は神の国のために準備してきたし、その国を望んできた。私たちの救い主でおられるイエスがこの世に来て、悲しみを味わって、涙を流された。この世には喜びも幸せもない。ただ悩みと労苦があるだけである。
私にも健康で丈夫な体をもっていたときがあった。そのときは恐ろしいものがなかった。大変だったとしても力を尽くして開拓したし、教会のリバイバルのために力を尽くしてきた。苦しいと考える時間もなかったし、悲しいと考える時間もなかった。しかし、その勇気がすべてなくなると、この世はまことにむなしいということを悟った。以前、私が愛した者は目の前におらず、見慣れない者だけがいる。この世であとどれだけ生きるからといってそのようにしたのか・・・私は非常に足りない人間であった。「私が彼らにとって十分な者であったのであれば、このようなことはなかったのに。」と今は後悔している。
私は第二の人生を送ろうとする。私が役に立たないのであれば、この世は私を捨てるであろう。そのようにならないために命が尽きる瞬間まで力を尽くさなければならない。しかし、どうすればいいのだろうか? 私はすでにすべての肉体の望みを捨てたし、永遠の望みだけが残っている。私を悲しませない方はただひとり、イエス・キリストでおられる。
毎日が退屈であり、せわしい。もう一冊、本を書こうとしても、肉体の力がないためにまことに恐ろしい。どのようにしてはじめるのか、必ずしなければならないのかをまだ決めることができていない。無知であったときもあったが、ただ聖霊によって働こうとしてきた。非常にさびしかったときもあったが、主を頼ってきた。感謝すべきことに、聖徒が私を忘れないで助けてくれているし、私は最後にしなければならないことを目の前に置いている。
祈ったことすべてがなされることを願う。教会がリバイバルすることを願う。今は私の体が老いて、ひとりで走るには力が足りない。それゆえ、私とともにしてくれる聖徒の協力を願う。すべての聖徒が証しをもつのであれば、この世を驚かせることができる。神が期待をもって私たちに遣わしてくださったイエスとイエスの血、聖霊と力によって働くことを願う。私たちすべてがこの悲しみにあふれたこの世に勝利することを願う。

 

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室