2016.06.26_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2016. 6. 26.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

 

私はこの世を生きる間に多くのことを学んできたし、まことに多くの愛を受けてきた。人間を愛する愛と尊敬と慰めを多く受けてきた。私を迫害する者もいたが、彼らは私をまことに知らなかったために、そのようにしただけである。私を知る者は私を愛してくれた。これはまことの真実である。今、受けてきた愛をすべて言葉に表すことができないが、この愛は私がこの世を生きていく力であったと考える。

学ぶことができなかったときには私を無視する者もいたが、今は私を愛してくれる者がさらに多い。川が流れながらその幅を広げ、水の量を増やしていくように、私の生涯もそのように太くなった。山の間からちょろちょろと流れてきた川が大きな川となって流れるように、若いときには速かった流れが今は遅くなったとしても、その中には多くの知識や経験が積まれている。しかし、霊魂にもっていくものは何もない。誰かが大きな家を与えたとしても、また、それが私に何かの助けとなり、私に大きな栄光を与えたとしても、私に何の益があるだろうか? 私の霊魂だけがひとりで進んでいる。

どんなにこの世が私をつかんだとしても私は離れなければならない。この世に楽しいことがあったとしても、それが私を休ませることはできない。私はひとつの道だけを歩む。肉体をもっているために、後悔することも多かった。しかし、私の霊魂は幸せである。私が行かなければならないところはパラダイスである。パラダイスを経て復活の栄光を得、父なる神の家に入って行くことだけが私の望みである。

私はこの世に来てだまされたり、いじめられたりしたが、それは風が通り過ぎるようなものであった。私はそこにとどまらない。私をまことに愛してくれた聖徒の愛と配慮によって、したかったことをすることができたし、続けてしてきた。彼らは私のために可能であるのならば、目までも差し出そうとした。まことに多くの愛を受けてきた。私の霊魂がそのような愛に満ちているために、この世にはうらやましいものがない。

その愛を考えると、涙が出てくる。生まれてから親兄弟の愛も多く受けてきたが、聖徒から受けてきたその愛は神から印を押された愛である。私は神から愛けたその愛を、聖徒の心霊を通して受けてきた。世界中で私のように愛を受ける者がいるであろうか? 牧師であっても、すべてが愛を受けているわけではない。まことに愛する者同士が通じ合う愛である。私がすべての人を愛することができるのは私の霊魂に主の喜びが満ちているためである。

オォ! 愛する聖徒よ。私はこの世にいる間に受けてきたその愛を、永遠にもって主のところに行きます。

 

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室