2016.08.28_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2016. 8. 28.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

神学は科学であるが、信仰は霊感である。人の理性は客観的な神学を頼るが、私たちの霊魂はただ神の御心を絶対的に頼る。
私は生涯、神学をしてきた者であり、また、神学校を設立して学長としても長い間、働いてきた者である。それゆえ、誰よりも神学を尊重してきた。私は説教者、牧会者、伝道者として一貫性をもって生きてきた。説教と牧会と伝道は神学の範疇に属するものではなく、ただ神が命じられる通りにひとつの道を行く霊感によってだけすることができるものである。霊感はただ神から出て来る聖霊によってもつことができる。
私は60年間、ただ霊感を頼ってきた。霊感は感情ではない。それゆえ、神秘主義を排撃する。霊感はただ聖霊の働きであるために、聖霊の働きを聖書によって証明しなければならない。また、その証しとしてしるしが現れなければならないし、そのしるしは霊的でなければならない。それゆえ、イエスは「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」(マタイ12:28)といわれた。
霊感がない信仰は信念に過ぎない。信念は霊魂を救うことができない。霊感がない祈りは虚空に消える音に過ぎない。それで、イエスは「聖霊を頼って、イエスの名にひざまずいて祈りなさい。」といわれた。私は生涯、霊感を頼って信仰生活をしてきた。霊感によって牧会し、説教してきた。伝道するときにもただ霊感を頼ってきた。今はその意志も霊感によって支えられている。
霊感は父なる神との限りない苦しみである。私に何の欲があるだろうか? この世に対する愛着もすでに消えてしまった。そのように私の心はその方が備えてくださった国だけを慕い求める。私の霊魂が幸せであるのは私が生涯、霊感を頼って生きてきたためである。今も一日中、霊感を頼って呼吸する。生涯、人々が一般的にもっているスマートフォンももったことがないし、多くの情報があふれているインターネットも使ったことがない。まるでこの世の中で耳をふさぎ、門を閉ざして生きているかのように見えるかもしれないが、私には霊感によって生きる喜びが満ちあふれる。生涯、コンピューターで文章を書いたことも一度もない。これは実際に無知であり、原始的であるが、私はこの世の道具やいのちがないものを使わないで、ただ霊魂に満ちあふれる霊感によってだけ文章を書いている。
私の時間がどれくらい残っているのであろうか? それは私と関係がない。私は私の命が残っているときに必ず応答を受けようとするその働きについて祈りながら、霊感を頼る。私はもどかしい年寄りであるが、私の霊感は若さに満ちている。肉体は力を失ったとしても霊魂には力がある。教会員が私の霊魂の喜びであり、勇気である。私たちすべてが神から与えられた霊感によって信仰を守り、職分を守っていくことを願う。

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室