2016.10.02_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2016. 10. 2.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

 

私は若いときから続けて迫害や無視を受けてきた。それでも、私が戦いながらこの道を頑固に守ってきたのは一日を生きるにしても卑怯にならないためであった。今は私が哀れに見えるが、のちには必ずその実が結ばれるということを疑わない。志がある者にとってこの世を生きていくというのは非常に孤独で大変なことであるが、私は必ずしなければならない働きを私に預けてくださった神の御心に従ってきた。
60年余り、変わることなく主の福音の力を証してきた。この世では愚かなことであったとしても、神が喜ばれる働きであったということを少しも疑わなかった。この世は旅人の道であるということを知っている。この世で生きてきたのは主の御国の働きをするためであったと信じたい。この世のことをひとつも成功することができなかったのもそのためであった。苦しみを受けたとしても、真理のために生きるというのは幸せなことである。
時間は急速に過ぎ去っていくし、そののちには主に召されることが待っているが、この2つが私に近づいてきていると感じる。卑怯にならないし、悪口を言われたり迫害を受けたりしたとしても恐れない。ただ真理だけを探していかなければならないし、神はこの道で私に力と祝福を与えてくださった。私の祈りは常に主イエスに届き、また、応答を受けてきた。肉体のために祈ったこともなかったし、この世を喜んだこともなかった。ただ険しいこの世に勝利しながら、主の働きだけを成功させることを切に願った。
長かったとしてもこれから10年以内という短い余生をどのように送ろうか。名誉をすべて捨てて、自分のものを所有しないで、主の御国のために働くしかない。説教するたびにこれが最後の説教であると考える。私たちの教会は今日までこのように築かれてきたので、これからも絶対にこの道を離れない。これはこの世の人を喜ばせる教会ではなく、主を喜ばせる教会として立つためである。
私はまことの言葉だけを語ることを願う。それ以上はどのような理由であっても語りたくない。信じるものだけを証ししようとしてきたし、信じないものは教えもしなかった。将来、神の御前に出て行ったときに、視無言(シムオン)にだまされたと告白する霊魂がひとりもいないことを願う。
感謝する。主の御言葉を伝えることができること、主の御国のために働くことができること、神を愛する心と献身しようとする愛が満ちあふれることが幸せである。主からだまされたという事実がないために、そのまま伝える。それが私の大胆さである。私は息をする間、休まないでペンを握るであろう。

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室