2017.01.29_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2017. 1. 29.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

私の体にイエス・キリストの力としるしが現れたときに、主が私を遣わされた。どこにでも私を遣わされた。そこには病気にかかった者、神を知らない罪人、無知によって自分の人生を脅迫する者がいた。私はそこでただ「イエス・キリストは生きておられるし、今日、私のような小さな者にまで働かれる。」と伝えた。神が与えてくださった聖霊によって祈り、切に求めて病人を癒し、悪霊につかれた者が救いを受ける働きを現した。そして、その力によってさらに熱心に証しした。私にそのような力があることを知って、さまざまなところにある教会が私を招待した。

一週間も力を現さないときがなかった。聖霊の働きがとても大きく現れた。木が病むのであれば、葉も枝も枯れてしまうが、木が生きているのであれば、葉も枝も完全であり、実を結ぶ。そのように私の体に常にイエス・キリストの力としるしが従わなければならないということを生涯の使命と考えて生きてきた。今は気力が衰え、声さえも出て来ないが、続けて働きたいし、書きたいし、働きを現したい。

私の体からしるしが現れないというのは私が死んだということである。しかし、私は死んでいない。私の体にこのような力がさらに満ちあふれることを願ってやまない。祈りが常に主に届かなければならないし、主が私の手を常につかんでくださらなければならない。それで、私は祈る。私が聖徒に願いたいのはさらに大きな働きが現れるように私のために祈ってほしいということである。私たちの教会は創立されたときから、しるしと力、聖霊の賜物に満たされてきた。そのときの霊感が続くことを願う。祈らないのであれば、どんなしるしも力も存在することができない。

私は死ぬほど霊魂を愛し、主に従いながら殉教者としての使命を守る。使命がない者は牧会をしたとしても、生活をするために牧会をするだけであるし、自分の体のために弁明をするだけである。しかし、そのようにしては一日も息をすることができない。私は主のためにこの世に生まれた者である。主のために生きるし、主のために死ぬ。それゆえ、罪過が多かったとしても主の尊い血の力に預けて、体には常にイエス・キリストの力が現れなければならない。ただそのような渇きと使命感に満ちている。

わが霊魂よ、沈黙してはいけない。肉体が腐ったとしても青い葉を咲かせ、実を結ぼう。力がない信者ではなく、主の働き手として常に力ある生涯を送ろう。わが霊魂よ、幸せになろう。イエス・キリストを常に現そう。

 

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室