2017.02.12__牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2017. 2. 12.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

私は聖楽教会を開拓したのちにリバイバルのために祈ったが、それ同時に、礼拝堂の建築のためにも多く祈った。平均して一日に3時間以上は祈ったし、10時間、祈ったこともあった。教会がリバイバルしてこそその中から多くの働き手が出て来るという確信や期待があった。そのためには多くの働き手がひとつの場所にともに集まることができるように礼拝堂を備えなければならないと考え、それこそ死ぬほどの力を尽くして働いた。そのとき、教会員の数は少なかったが、心をひとつにした。集まれば、祈ったし、散らばれば、伝道への情熱が火のように沸き上がった。
これまで礼拝堂がないためにあちらこちらに移転し、結局は消えていった教会を多く見てきたし、生活のために牧会をする牧会者も多く見てきた。彼らは何とかして「数十人だけでも集めよう。」と考え、すでに各教会で熱心に働いている聖徒を引き込んで教会を開拓したりした。
木の枝が伸びて実を結んだりもするし、実が遠くに移動してそこで芽を出したりもする。私は「ベレヤ運動」を目標としてきたために、すべての教会員が力としるしを伴う聖霊充満な信者となるように教えて訓練してきた。それゆえ、多くの力を現す信者もいたし、熱心に働く信者もいた。しかし、ただ聖霊がその人の中で直接、働かれなければならないし、その霊感に満たされなければならない。
ただ多く祈ったからといって、聖霊に満たされるわけではない。聖霊は御言葉が臨むときに、ともに臨まれる。それで、神は真理の御霊といわれた。神の御言葉は耳だけで聞くものではない。啓示された御言葉であり、自分の中に入って来て戒めとなってこそ、いのちとなる。いのちの御言葉というが、その御言葉を「神が直接、啓示された戒めの御言葉」と確信して従わなければならない。それゆえ、「聖霊は教会で従う者に与えられた。」といわれた。
人々は神の御言葉を聞いて恵みを多く受けたというが、ただ耳で聞いただけである。自分の霊魂が拒むことができない神の戒めとして聞かないために、観念的にだけ考えて「恵みを受けた」という。
元老監督である私は「それぞれまことの使命者となって、死ぬほど忠誠を尽くし、教会の働きをしたのちに、ともに主の御国に行こう。」と切に願う。誰も惑わすことができないように岩でおられるイエス・キリストの上に根を下ろさなければならないし、人間の感情や考えに従って逆行してはいけない。私はそのように訴える。「どうか誰からも見下されないようにしてください。誰からもそそのかされないようにしてください。生涯、聖楽教会の教会員となってください。」と願う。「もし誰かがあなたを離間しようとするのであれば、その人に近づかないようにしてください。」と切に願う。

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室