2017.02.19_牧師コーナー

【牧師コーナー(松竹岩(ソンチュグァム))】2017. 2. 19.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東(キムキドン)牧師

立派な指導者ひとりを育て上げるためには少なくない歳月や汗、努力、投資が必要である。私は1964年から毎年、指導者を得るために教育に関心をもって最善を尽くしてきた。私自身は学校に通わなかったが、後輩を学校に通わせた。私自身は貧しく暮らしながらも、続けて学校に登録させた。しかし、自分が射た矢に当たって死にかけたことが一度や二度ではなかった。現在もそうである。期待していた指導者は出て来ないために失望している。
大学院大学を設立するためには相当な投資がなければならない。しかし、それをまことに感謝する者は多くないし、むしろまったくいないほどである。生活させるために教えてきたのではなく、神のための預言者のような働き手が出て来ることを願って教えてきたが、ひどく失望している。主人意識はなく、しもべの意識をもって卒業するようである。果たして彼らが指導者であろうか。
「神の国は種を蒔くようなものである。」といったように、種が落ちるのであれば、そこから芽を出して、根を下ろさなければならない。しかし、そのような者は多くない。「恵みによって学んだために、その恵みに報いよう。」といって命を差し出す者がいない。葉が落ちて枝に何もない無用な者もいる。霜が降りて、冬の強風が吹いたとしても耐えながら春を待ち望む勇士はいない。望みがない霊魂のようであり、ただ哀れである。
奨学金はお金が多く、扱いに困って捨てるものではなく、夢を蒔くものである。しかし、それを認める者がいない。今年も多くの働き手の候補者が学校を卒業するが、その中で果たして「視無言(シムオン)」のようなバカがいるであろうか?「金箕東(キムキドン)」のような狂った者がいるであろうか? ただ残念である。
私たちの教会から国内外の多くの指導者が出て来ることを願ってリーダーセンターも建てた。これから数百組の指導者がリーダーセンターで集中的に訓練を受けるであろうという期待からであった。学校で学ぼうとする者は主の御前で謙遜に自分を下ろさなければならない。
まことに指導者になろうとするのであれば、機会があるときに渾身の力を振り絞って自分を指導者に作らなければならない。誰かが指導者に作ってくれるわけではない。神と私がともに作って満たした資格である。もし力を尽くして命を尽くす熱心さが私になかったのであれば、神も私の手をつかんでくださらなかったであろう。それならば、今日、視無言(シムオン)は存在しなかったであろう。
完全に無から有をなしたと言わざるを得ない。その代わりに私の肉体は壊れたが、感謝する。どうか指導者が出て来ることを願う。命を差し出す狂った者が出て来ることを願う。この霊感が終わらないように。

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室