私たちはどうしたらよいでしょうか
(使徒の働き2:36~42)
神は
善良でおられる
その方が
この世を救うために
イエスを十字架につけられた(マタイ16:21)
十字架は呪いの木であるし、そこで私たちの罪が死んだのである(ガラテヤ3:10)
神は死んだ者の中から人の子を生き返らせた(使2:32)
イエス・キリストは天に上ることによって
この世を救う義となられた(ヨハネ16:10)
それゆえ、
私たちがその救いを受けるためには
この世から出て来なければならない(使2:40)
これがバプテスマである(使2:37~38)
この世は宗教と偶像に満ちている(Ⅱコリント6:14~16)
そこから出て来てこそ聖くなるし、
神に属した霊魂となる(Ⅰヨハネ4:6)
そのようにしてこそ恵みを受け、
聖霊を賜物として受けることができる(使2:38)
バプテスマを受けるというのは聖楽教会員になるということではなく、
キリスト教に入門するということである
聖霊の御言葉、すなわち真理はキリスト者にだけ聞こえる
○ それぞれ悔い改め、バプテスマを受け、罪の赦しを受けてこそ、
この世と区別され、聖くなる
この世から区別された者が真理を聞く
○ 聖霊はその賜物とともに
イエスの人にだけ臨まれる
聖霊の賜物は限りない
○ バプテスマを受けなければ、聖さがない
聖さがなければ、恵みもないし、
聖霊も臨まれない
※ 聖楽教会員になる前にまずキリスト者となろう
キリスト者となるためには悔い改めて、バプテスマを受けなさい
そののちに聖楽人になることができる
【牧師コーナー(松竹岩)】 2018. 8. 26 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
1962年6月、私は初めてリバイバリストとして招かれ、忠清南道の洪城郡にある羊谷メソジスト教会に集会を導きに行った。その教会の牧師の机の上に何冊かの本があったが、私はその中から表紙が黄ばんだ古い一冊の本を手に取った。その本は辺宗浩牧師が執筆した『李龍道牧師全集』全10巻のうちの第七巻であり、李龍道牧師の書簡集であった。1ページ目を開くと、ハガキに書かれた「イ・ヨンソン氏に」という手紙があった。その内容は数行に過ぎない、簡潔なものであった。
「兄弟よ。主のために生きてください。食べるのも主のために、飲むのも主のために、寝たり起きたりするのも主のためにしてください。主のためでないのであれば、食べることも飲むこともしないでください。生きないでください。李龍道」
聖書以外でこのような霊的な本を読んだのはそれが初めてであった。そのとき、涙が私の目を覆った。このハガキはまるで李龍道牧師が私に送ったハガキのようであった。私はその瞬間、「主のしもべがすべきことは何か。主のしもべの使命とは何か。」を悟った。そして、涙を流しながら、その書簡集をすべて読んだ。
そのとき、その教会の牧師が「お望みならば、もち帰ってもかまいません。」といって私にその本を譲ろうとした。しかし、私は本を借りることにしてもち帰り、その本の内容をノートにすべて書き写した。そのようにして書き写した李龍道牧師の書簡集を常にカバンの中に入れて集会にも持ち歩いた。夜遅くその本を読み返しながら涙を流した。
李龍道牧師は謙遜なしもべであり、文学者であり、愛国者であった。彼は30歳で牧師となり、33歳でこの世を去った。ちょうど3年間だけ働いた。その当時、李龍道牧師が開いた集会は毎回、国内最大規模であった。メソジスト教会の神学生はその講義を聞いて涙を流し、勉強にもならなかったという。
しかし、そのように謙遜であり、祈りも多くしたしもべは長老教会から異端として罪に定められ、メソジスト教会からも排斥を受けた。しかし、直接、彼に会った者は彼がどんなに立派な信者であり、牧師であったのかを語らないわけにはいかなかった。彼の雅号は「是無言」であった。それゆえ、私も彼のように悪口を言われ、罪に定められたとしても「視無言をしよう」と考え、視無言という雅号をつけた。そして、「生涯、李龍道牧師のように生きて死のう。」という思いをもって熱心に生きてきた。
誰かが私に「李龍道牧師のことを語るのであれば、あなたも殺される。」といった。また、ある人は「李龍道牧師が異端なので、その影響を受けた金箕東もやはり異端である。」といった。しかし、李龍道牧師の家庭で寄宿しながら神学校に通った辺宗浩牧師が李龍道牧師の3年間の生活を本として記録しようと考え、「李龍道牧師に対する思いを10冊の本に書くことができるようにしてください。」と祈った。そして、10冊の本を書き上げ、80歳でこの世を去った。
辺宗浩牧師はその本の中で「李龍道牧師に似ている者、視無言に出会った。」と言及し、私について長い文を書いた。辺宗浩牧師はソウル大学の物理学の教授であった。このような栄光がどこにあるだろうか。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室