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偶像崇拝を避けなさい
(コリント人への手紙第一10:14~22)
神は
生きている造物主でおられる
その方が
万物を創造して、それらをすべて召された(詩100:3)
神が手で造られたものの中でひとつも
仕えられるものとして創造されたものはない
天(空中)や太陽、月、星、
木、岩、水などの中でひとつも
仕えられる神々として創造されたものはない(出20:3)
さらに死んだ者に供え物をささげることが
許されたことはないが、これは偶像崇拝である(出20:4~6)
神がいない者は恐れに支配されて
偶像に仕えようとする
神がいる者は恐れることがないし、(Ⅰヨハネ4:18)
自分のためにほかの何かを頼ることもない
偶像に供え物をささげたというのはすでに偶像崇拝をしたということである
その供え物を食べる者は偶像に屈した者である
神は絶対に偶像を嫌われるので、
偶像崇拝を敵と考えられる(エゼキエル14:3~4)
イエス・キリストは父にだけ仕える
聖霊も神にだけ仕えさせる
○ 聖霊に満たされなさい
これは
神に向かわせることである
○ イエスの御言葉、その方の戒めに従いなさい
神のほかにほかの神々を語られたことはない
信仰にはほかの神々が存在しない
○ 神は彫像よりも大きな方でおられる
私たちの信仰の父でおられる
信仰は霊魂のいのちである
※ 聖くなろう
聖くなければ、主に会うことができない
霊的になろう、真理に従って霊的になろう
Semuon’s Letter
【牧師コーナー(松竹岩)】 2018. 9. 23 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
神は私たちの生涯を顧みて、一年の四季のように生きるようにされた。地の上で植物が生まれ、育ち、実を結び、死を迎える。寒い冬を避けて死を迎える。
私たちの生涯において私たちの体はそれこそ良い地である。頭に植え、心に植え、肉体に植えるのであれば、知識となり、思い出となり、経験となり、それによって神の意図を悟るようになる。そのように一年中、続けて植えると、秋が来て農夫の鎌を待つ。
良い地に良い種を蒔けば、良い実を結ぶことができるが、良い地に雑草が育つようになれば、結局、その生涯は無知と無益な歳月となって、呪いの炭火を燃やす。それゆえ、私たちは毎日のように植えて、蒔いて、秋の刈り入れを豊かにしなければならない。これが主が切に願われることではないか。頭に植え、心に植え、体に植え、また、霊魂に真理を植えて、実が熟する秋を迎えなければならないのではないだろうか?
目を閉じて考えてみると、私たちがどんなに無為な歳月を送ってきたのかとひどく後悔する。良い地に良い種を蒔き、また、良い木を植えなければならないが、敵が来て毒麦を蒔くのであれば、その結果はどうなるであろうか? 神が造られた良い地を、神が喜ばれる働きに使わなければならないのではないだろうか。いつの間にか、秋を迎えたので、さらにそのように考えるようになる。干ばつが訪れ、大雨が降り、台風が襲ってきたとしても、最後まで耐えてこそ称賛を受ける。
ある人は他の人がすることを妨害するのが自分の生涯の使命であると考え、そのように行動して出しゃばる。しかし、私たちは力を尽くして主の働きをし、主が蒔かれた種がよく育つように良い地となった自分の体をすべて使わなければならない。霊魂を集める働きと教会を再建する働きにすべての力を注がなければならない。主の血によって買い取られた体である教会を取り壊さないで建設する者となり、そのように認められ、最後まで耐えなければならない。神は視無言(シムオン)を耐えさせ、守り、そして、救われる。
愛する聖楽人のみなさん。神は私の体に聖楽教会を植え、真理を植え、神の御心を植えて収穫させます。私の体は今、秋の畑のようなものです。ぼろぼろですが、私の中には神の愛や働き、主の職分、聖霊の賜物が満ちています。神のものがひとつも地に落ちないように台風や強風にも耐えています。ともに熱心に教会を守りましょう。そして、真理を守りましょう。ステパノのように立ち上がって天を見上げましょう。主はそこで両手を挙げて、私たちを歓迎しておられます。アーメン。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室
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