私の義はイエスの血
(出エジプト記12:1~14)
神は
実存でおられる
その方が
この世を創造し、
この世に息を与えられた(使17:25)
それによって万物はいのち、すなわち命をもつようになった
これは
神の自然啓示であり、
命よりも永遠ないのちがあるということを知らされたのである
命は血の中にあるし、その血によって生きる(レビ17:11)
そのように神のいのちもその血の中にある(使20:28)
しかし、
神のような霊は天上天下に存在しない
神は唯一のまことのいのちでおられる(ヨハネ17:3)
それゆえ、御言葉、すなわち「ロゴス」は血に染まった衣を着た、
神の御言葉である(黙19:13)
それゆえ、
私たちを生かす義はただ
神の血しかない
神は「門に血があるのならば、
その家は救いを得る」といわれた
○ 過越のいけにえの羊の血はたとえである
神の血を自分の霊魂に塗った者は
救いを得る
○ 自分の功労や義があったとしても
救いを得ることができない
ただイエスの功労だけが私たちの救いである
○ 自分を誇ってはいけない
自分はただ罪人であり、
イエスだけが私たちの救い主でおられるということを証ししよう
※ 私たちが受けたバプテスマは罪と義を区別する
罪人は死んだし、
義人は生きた
【牧師コーナー(松竹岩)】2018. 11. 4 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私は神を疑いません。神がこの世を愛されたということを疑いません。私は神の御子イエスを疑いません。その方の十字架の功労がどんなに大きいのか、その方の尊い血の力を疑いません。私はイエスが天から遣わされた聖霊を疑いません。聖霊が今日も私たちの中でイエス・キリストを現されるということを疑いません。
私たちには神を疑う権限もありません。疑う罪よりも大きな罪はありません。私たちの生涯は罪過と堕落でしたが、主イエスがこれらの罪過をすべて担ってくださいました。それによって私たちは神の御心通りに義とされました。しかし、神を疑う罪はこの世でも、のちに来る世でも赦しを受けることができないということを知っています。
神が耐え、憐れみ、恵みを施してくださったために、私たちは救いを受けました。主イエスの救いの力が私たちの霊魂に満ちています。肉体は時限的な価値しかもっていませんが、霊魂は永遠です。神の恵みを私たちの霊魂に与えてくださった、その大きな愛に感謝をささげます。
私たちが病気にかかり、苦痛を受けるのは神の愛を疑うためです。私たちが抑圧を受け、妨害を受けるのは神の聖霊を疑うためです。神が私たちに霊的な祝福を与えてくださったということを疑い、自ら主から離れるためです。これから私たちはイエス・キリストは昨日も今日も永遠に同じであるということ、現在も聖霊によって私たちの中でいのちの働きを現しておられるということを疑いません。私たちは肉体によってではなく、霊魂によって神の大きな愛と恵みを悟りました。それゆえ、私たちの信仰は永遠です。
主よ。今回の神癒集会を通して受けた神の愛を疑わないで信じるようにしてください。神を愛する者にさらに大きな祝福を与えてください。今回、イエス・キリストの名によって按手を受けた霊魂に、 その効能が永遠であるということを知らせてくださったので、感謝をささげます。敵は神の愛を疑わせ、イエス・キリストの恵みを疑わせ、聖霊の力を疑わせますが、私たちは真理を信じて、決して敵の計略に陥りません。これから私たちの信仰はさらに堅く立てられます。
私たちは主を疑いません。主の御名を疑いません。聖霊は今も神から出て来て、私たちと神の間を守っておられるということを疑いません。主よ。この世は神を疑って滅んでいます。この世は科学を過度に頼り、それによって神の大きな愛を疑わせますが、聖霊によって信仰を永遠に守ってください。主よ! 感謝をささげます。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室