
2019. 1. 1. 新年感謝礼拝
よみがえられた私たちの神が
(ヨハネの福音書20:19~23)
神は
永遠でおられる
その方が
この世に御言葉を遣わされたのは永遠に
神の中にいさせるためであった(ヨハネ1:14)
神は栄光を受けられるし、(マタイ6:13)
永遠に幸せでおられる
神が幸せでおられるというのは
第一に、平安があるということであり、
第二に、聖霊がおられるということであり、
第三に、自由があるということである
私たちの神である(マタイ1:23)
主イエスはよみがえることによって勝利を収め、そののちに
弟子たちに来て大きな賜物を与えられた
それは神の幸せによって幸せになりなさいというものであった
収穫を終えた農夫が脱穀場から穀物を運び出すように、
その方はよみがえったのちにすぐに私たちに賜物を与えてくださった
それは最も大きなものを恵みとして与えてくださったのである
私たちはこれら3つを迎え入れて、
神の御心通りに永遠になろう
聖霊は助け主でおられるし、働かれる
○ 私たちの信仰は恵みを受けるものである
神の恵みは永遠である
神の賜物は永遠である
○ イエスは私たちに
平安と恵みを与えてくださった
聖霊はその働きをなさる
○ よみがえった主は
新年の初日に命じられる
※ 「平安があなたがたにあるように」
「聖霊を受けなさい」
「自由になりなさい」
これが霊的な信仰である
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 1. 1 (新年感謝礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
神から与えられた道は平坦ではない。険しくて危険な谷が待ち構えているし、猛獣のような悪魔が武装して私を殺そうとして待ち構えている。誰でも目を開けてその道を見るのであれば、行くのをためらうであろう。誰でも平坦な道を選ぼうとする。しかし、この世がすべて忌避するこの道は神から賜物として与えられた道であるし、その危険は神から祝福として与えられたものである。
私がこの世に生まれてきたのは運命ではない。神が備えられたことである。神はこの世を嫌い、死を恐れる者が捨てた道を私に預けられた。生涯、異端という最も聞きたくない声によって烙印を押され、殴られ、踏みにじられてきたが、私は生きている。私に悪口を言った多くの者はひとりずつこの世を離れていったが、残酷なまでに耐えてきた「視無言」は高齢ではあるが、続けて講壇に立ち、自分がすべきことをしている。
私の中にはこの世の文明がない。ただ永遠に変わることがない神の御言葉やその御名、力、聖霊だけが満ちている。風船はその中にガスが入って来ることによって大きくなり、空高く飛んでいく。人々は私の中におられる方を見ることができないし、私を風船のように弱い存在と考えるが、私は空高く飛ぶ。これは私の力ではない。主イエスが私とともに働かれるのである。歳を取って顔は変わり、声は枯れ、腰は力を失ったとしても、私の中では獅子の声のように大きく響く御言葉が働く。
私は続けて神の働きをしようとするし、神が願われる御言葉をこの世に注ごうとする。そして、その御言葉や知恵、真理を本に綴り、この世を離れたのちにも長くこの世にとどまって、神が願われる働きをしようとする。
誰が私を止めることができるであろうか。誰が私を殺すであろうか。しかし、私は私の霊魂を殺すことができないものを恐れないし、相手にもしない。私にはすべきことがあるし、行かなければならない道がある。私は神が定められた道を行きながら、その方が命じられることだけをする。その瞬間まで唇を聖霊に預けようとする。しかし、私が足りないために、言葉で失敗することが多い。それが私の大きな欠点である。私は他の人が望むほど完全ではない。しかし、それが私である。私は完全な者ではないし、大きな者ではない。しかし、ただ私たちの神、イエスだけが私を大きく用いておられると確信する。
私はよみがえられた主から賜物として与えられた平安に満たされようとする。主から与えられた聖霊に満たされようとする。主から与えられた自由によって永遠に自由になろうとする。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室