ことさらに罪を犯し続けてはいけない
(へブル人への手紙10:19~31)
神は
まことでおられる
その方が
救いを受けた者の父となられた(ローマ8:16~17)
自分の血を流し、
自分の肉を与えられた(ヨハネ6:53~55)
この世にある、どの宗教が
神の血を飲ませたであろうか
神の肉を食べさせたであろうか
すべての宗教は修養を積む律法である
恵みがないし、救いがない(エペソ2:8、使4:12)
しかし、
私たちはその方の血を着て、聖なる道を歩む
私たちの主はすぐに来られる(使1:11)
救いを受けた聖徒を迎えるために来られる(ヨハネ14:1~3)
それゆえ、
主日を聖く守って、(へブル10:25)
ことさらに罪を犯し続けてはいけない(イザヤ58:13~14)
真理を知ったのちにことさらに罪を犯し続ける者は
神を捨てた者であり、必ず裁きを受ける
私たちは日々、殉教する心をもって生き、
主イエスにさらに近づいていかなければならない
○ 聖霊に頼ろう
聖霊は賜物を豊かに与えられる
○ 聖霊によって信仰生活をし、
力ある信仰生活をしよう
これは主の戒めである
○ 今日から決心して、
主日を聖く守ろう
聖日にこの世に勝利しよう
※ 聖徒は聖なる道を歩む
常に聖なる方向に歩まなければならないし、
そこに至らなければならない
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 2. 17 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私たちが神を知らないのであれば、神も私たちを知らないといわれる。私たちがイエス・キリストを知らないのであれば、イエスも私たちを知らないといわれる。私たちが真理を知らないのであれば、イエスも私たちを知らないといわれる。私たちがまことの神の御名を知らないのであれば、イエスも私たちを知らないといわれる。私たちがイエス・キリストの神癒と力を知らないのであれば、イエス・キリストも私たちを知らないといわれる。
主は早くから「私はあなたがたを全然、知らない。」といわれた。これは主が偽られたのではない。その方の御言葉は真理である。誰でも神を偽る方と信じるのであれば、その人はまことの神を知らない者である。それゆえ、主イエスもその人を知らないといわれるのである。
私たちは日々、聖書を調べ、また、説教を聞きながら熱心にその方を知るために力を尽くす。自分の義は知りながらも主の義を知らない者は宗教人であるし、イエス・キリストの人ではない。「キリストの霊をもたない人はキリストのものではない。」というのは「聖霊が私たちの中に入って来てイエスを知らせ、イエス・キリストがなさることを知らせ、イエスの御言葉を知らせる。それによって聖霊の人はイエスを知る者となる。」という意味である。主イエスはその人を知り、その人のいのちの主となられる。
私たちはこの世にいる間に自分の義でなく、神の義を探し求めなければならない。多くの人がバプテスマを受けたのちにもただ自分の義を現そうとして、さまざまな努力をしている。自分の義が自分の霊魂を救うことができないということがどうしてわからないのであろうか。本当にもどかしい。自分の義に満ちているイスラム教徒も救いを受けることができない。この世で義人と認められたとしても、神の御前では大きな罪人である。
私の著書は無理やりに書かれたものではない。私に知らされた主の啓示が書き記されたものである。私は自分も信じていないことを書いてきたのではなく、自分が信じ、自分の命までささげた真理を書いてきたのである。それゆえ、私の著書を一冊だけでも誠意をもって自分の霊魂をささげて読むのであれば、悟ることができる。そして、その悟りは真理の泉となる。
私は神を探し求める聖徒を愛して、彼らのために書く。私は神をさらに知らせるために、また、イエス・キリストをさらによく知らせるためにこれまで約280冊の本を書いてきたし、これからも書き続ける。一ヶ月に1冊ずつ読んだとしても、20年間、続けて読まなければならない。私の著書はただ神の御名のための本である。読んで、神を知ろう。読んで、イエス・キリストを知ろう。そうすれば、神もあなたを知るといわれる。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室