教会を再建しなさい
(エペソ人への手紙4:1~12)
神は
完全無欠でおられる
その方が
なさることはすべて完全無欠である
その方を信じる私たちもそのように完全でなければならないし、
神の教会を守って建設しなければならない(エペソ4:15~16)
神の教会のかしらはよみがえった
イエス・キリストでおられる(エペソ1:22)
私たちはその体の器官としてどのようにしなければならないであろうか
これは明らかである
主もひとつであり、信仰もひとつであり、バプテスマもひとつである(エペソ4:5)
神もひとつであり、すべてのものの父でおられる
私たちはそれぞれキリストの賜物の分量に従って
恵みを与えられた(エペソ4:7)
どのようにしてこの恵みに報いようか
その方がある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、
ある人を牧師、または教師としてお立てになった(エペソ4:11)
これは聖徒を整え、奉仕の働きをさせ、
イエス・キリストの体を建て上げるためである
イエスは私たちの神でおられる
その方が遣わされた聖霊は私たちを生まれ変わらせる(ヨハネ3:3~5)
○ 私たちはすべて謙遜に従う
聖なる聖徒となって、
イエスの体である教会を建て上げなければならない
○ 教会は主と信仰とバプテスマがひとつであり、
神もひとつでおられるために、互いに争わない
バプテスマは私たちを生まれ変わらせる真理である
○ 聖霊に満たされて従い、
真理の御言葉によって自分を武装し、
命を尽くして神の家を建てよう
※ 教会は万物を万物によって満たす方が満ちておられるところである
万物を服従させる権勢と力が教会にある
謙遜にひとつの心をもって教会を再建しよう
【牧師コーナー(松竹岩) 】 2019. 3. 24 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
主イエスを信じたのちに変えられたのは忍耐という品性であった。本来はそのような品性をもっていなかったが、聖霊が私の霊魂に入って来て私を支配することによって、そのような品性をもつようになった。カインは弟に対するねたみに支配され、「どのようにして弟を殺そうか?」と考えた。神はカインに「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。しかし、あなたはそれを治めるべきである。」といわれた。しかし、カインは結局、弟を殺した。カインに自分の品性を治める力がなかったためである。
今日、聖霊が入って来て私たちの霊魂を支配し、私たちを柔和にされるが、これは主の品性を知らせるためである。イエスは「私は柔和であり、謙遜である。私のくびきを負って、私から学びなさい。」といわれた。人間は情欲に満たされていて、神の御心とともに歩むことができなかった。しかし、イエスが血によって買い取り、聖霊を遣わし、聖霊の賜物によってその品性を現される。
私は60年近く説教壇に立って御言葉を証ししてきた。聖書を通して神の御言葉を受けてきたが、迫害は並大抵なものではなかった。憎むあまりに私を殺そうとする者もいた。しかし、私はこのような現象を私に与えられた祝福と考え、忍耐をもって彼らのために祈ってきた。
私たちはそれぞれ性格や知識をもっているために、それを義としようとするときがある。しかし、自分の義は神の御心をなすことができない。神の義によってだけ神の御心をなすことができる。私たちはバプテスマを受けることによってイエス・キリストの十字架の死と結びつき、もって生まれた品性、情欲、肉体の考えを葬った。これからはただ主イエスが遣わされた聖霊によって考え、知識をもち、神の国の働きに献身しなければならない。悪魔はこのような聖徒をねたんで、殺そうとするし、カインのように堕落させようとする。
私たちは今、肉体のためではなく、神の国と義のために生きる。悪魔にだまされて試みに遭ってはいけない。悪魔に試みられれば、堕落する。堕落した者はことさらに罪を犯すしかないし、結局、捨てられることもある。私たちに与えられた信仰と信仰に伴う力をもって主の働きをし、自分の霊魂を愛さなければならない。主が体をささげ、血を流されたように、私たちも血を流すまで不義と戦い、敵と戦い、常に勝利しなければならない。
信仰生活を疎かにしてはいけない。カインは悪い者、すなわち悪魔に属して自分の弟を殺した。耐える力が自分の心に満ちるように、聖霊を頼ろう。霊的になろう。聖霊の人らしく霊的になろう。これは主イエスの願いである。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室