真理と恵みの柱
(テモテへの手紙第一3:14~4:2)
神は
真理の父でおられる
その方が
この世にひとり子を遣わされた
ひとり子は肉体をもって現れ、(ヨハネ1:18)
霊において義とされ、(使2:32)
天使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、(ルカ24:4~7)
この世で信じられ、(マタイ28:19~20)
栄光の中で天に上げられた(ルカ24:51~52)
私たちの信仰と望みがこれである
この真理を知る知識が新しい柱である(Ⅰテモテ3:15)
第一に、人の子と女であり、インマヌエルである(マタイ1:23)
第二に、真理であるバプテスマである(ルカ12:50)
第三に、復活と永遠のいのちである(Ⅰテサロニケ4:13~16)
この恵みと真理を知る知識をしっかりと守り、
首をはねられた殉教者の列に加わり、
この家を守るのが私たちの使命である(へブル10:26)
しかし、
女の敵である悪魔によって信仰から離れるし、
惑わしの霊と悪霊の教えに心を奪われる
聖霊をだまして偽る
○ 聖霊の御言葉を肝に銘じなさい
聖霊は私たちの死んだ体を生かす
聖霊は真理の霊でおられる
○ 新しい柱をしっかりと立てなさい
神の意図を知る者はその上に家を建てる
その家はしっかりとしており、永遠である
○ 柱がなければ、また、あったとしても腐ってしまえば、その家は倒れる
恵みと真理を知ろう
栄光の中で主に会う
※ 一日一日が金のように貴い
歳月を惜しみ、殉教者のように大胆になろう
神の右の座に人の子が立っておられる
【牧師コーナー(松竹岩) 】 2019. 3. 31 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私とともにする者も、私から離れて私に敵対する者もすべて私のところに来て私から見たり聞いたりして学んだ者である。彼らはすべて私に会う前には真理が何であるのか、福音が何であるのかを知ることができなかったが、私に会ってそれを学び、知るようになった。このように視無言(シムオン)から聞いた聖書の知識や知恵は生涯、あるいは永遠に自分の霊魂にもっていく。これはどんなに貴い宝であろうか。
しかし、ある人はそのような宝を宝と考えない。まるで豚に真珠が与えられたようなものである。豚は真珠を足で踏みつけ、口で噛み砕く。そうかと思えば、ある人は視無言に敵対しながらも、いつの間にかその真理や知識を語っていたりもする。
聖書は「信仰は聞くことからはじまる。聞くことは信仰を宣べ伝える者を通してなされる。信仰を宣べ伝える者はそれを神から知らされた。」といった。それゆえ、私たちの信仰は人から出て来たものではなく、天におられる父なる神から聞いて学んだものである(マタイ16:17)。
私とともにする者、私から離れて私に敵対する者がこれまで大きく成長してきたのは真理の知識や福音を多く聞いて見て学んできたためである。それゆえ、それを伝えた視無言の声を忘れないで、続けて覚えなければならない。体験しなければならない。それが視無言によって作り出された知識ではなく、神から学んだものであるためである。
視無言は金聖顯(キムソンヒョン)監督のように正規の教育もまともに受けることができなかったし、多くの弱点をもっている。また、それを生涯、隠すことなく語ってきた。貧しかったために、したいこともすることができなかった。しかし、今、考えてみると、その貧しさが視無言の背中を押し、視無言を育て、視無言を神に会わせた。視無言の壮絶な青年期はむしろ私の神であるイエス・キリストをさらに慕い求めさせたし、この世の学問や情報よりも貴い天(霊界)から来た真理の知識や知恵の御言葉を学ばせた。
もう一度言うと、視無言の知識は真理と福音しかない。これは純粋に神から受けたものである。その御言葉を受けて本を書き、説教要旨を書き、松竹岩(ソンチュグァム)を書き、多くの文章を残してきた。これはこの世で聞いたり学んだりすることができない知識である。これは純粋に神の霊感である。私たちはそれをよく知っている。
視無言の知識にはこの世から得た情報が多くない。視無言は携帯電話もインターネットもまったく扱うことができない盲人である。それゆえ、視無言から聞いた真理を貴く考え、神が生きて働かれることを確信しなければならない。ベレヤを守るというのは聖楽教会を守るということである。私たちは真理を守る者である。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室