【質問】

ある牧師が韓国教会を批判しながら「絶対者の名はない。名が付けられた瞬間、その名に閉じ込められるようになるためである。」といいました。正しいようでもあり、そうでないようにも感じますが、果たして神には名があるのでしょうか?

聖楽宣教センターの回答です。

私たちが伝えなければならないのはイエスの名です。天の下でこの御名のほかに、私たちを救う名が与えられていないためです(使4:12)。それゆえ、私たちは「イエスの名を信じてください。その名は神の御名です。神が自分の民を罪から救われる名です。私たちとともにおられるインマヌエルの名です。その名を信じてください。」と伝えなければなりません。
ヨハネの福音書17章11~12節は「わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは聖書が成就するためです。」といいました。イエスという名は父から御子に与えられた父の名です。 父はその名を御子に与えられましたし、御子は父の名によってこの世に来て、その名のために死んでよみがえり、それによって父の名に栄光をささげました。神の御子は信じる者にその名を与え、彼らがこの世で保たれるようにされました。
ヨハネの福音書17章26節は「そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」といいました。 父が願われるのは何でしょうか? 切実なる主の御心は何でしょうか? 人々に父の名を知らせることです。

(金箕東キムキドン 著 『神の御名』「7. 神の御名を知らせなさい」より)