新しい戒め
(ヨハネの福音書13:31~35)
神は
愛でおられる
その方は
全知全能な方でおられるし、万物はその方のものである(詩100:3)
神は万物をすべて愛される
小さな植物にもいのちを与えられたし、(マタイ6:30)
人にも外見から霊魂まですべてのものを
与えられたし、また、与えようとされる
愛は
欲を出すものではなく、(ヨハネ3:16)
すべてを与えるもの、さらに与えようとするものである
情欲的な愛は自分の欲を満たそうとするが、
神の愛は奪うのではなく、(Ⅰコリント13:4~7)
むしろ与え、さらに与えようとする
神の御子を惜しむことなく与えた方が(ローマ8:32~39)
神の御名を与えられたし、(ヨハネ17:11~12)
永遠のいのちといのちを与えられたし、(ヨハネ6:53~55)
さらに与えようとして天の栄光を備えられた(ヨハネ14:1~3)
聖霊はこのような愛を悟らせようとして、
私たちの霊魂に大きな感動を与えられる
聖霊は真理の霊でおられる(ヨハネ16:13)
真理はその愛を知る知恵と知識である
○ 私たちに与えられた新しい戒めは
律法よりも大きな愛である
○ 父の愛は与えようとするものである
母性は愛である
子どもに与えたがらない親はいない
○ 他の人のものを欲しがるのは絶対に愛ではない
サタンの性格であり、ねたみであり、盗みである
新しい戒めは兄弟に心も体もすべて与えるものである
※ 新しい戒めが与えられた
律法はただ自分の体のためのものである
新しい戒めは愛であり、永遠な愛である
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 6. 16 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
寒い冬が過ぎ、花咲く春が過ぎ、いつの間にか青葉が生い茂る夏となった。この季節を過ぎれば、豊かに実を結ぶ秋が訪れるであろう。「語りがある月山」シリーズの10巻目となる随筆を出版することになった。内容はともかくとして文章を書きたがる者の情熱がまた一冊の本を生み出したのである。
本のタイトルは『語りがある四季』である。私の生涯は四季の変化のようにとてもはっきりとした変化を経てきた。私の一生には四季の特徴がすべて含まれている。極寒の冬には凍りついたこの世に耐えなければならなかった。また、冬が過ぎて梅やツツジが咲く春なると、心に新しい望みがあふれた。そして、生い茂った木陰で汗を乾かさなければならない夏を過ごし、冷たい風が吹きはじめたと感じたら、すぐに霜が降りる冬となった。変わっていく季節に従って、私はさまざまなことを経験してきた。そして、今、そのような追憶は文章という実となって私から現れた。
果たしてこの世で生涯、変わることなく私のために労苦を払ってくれる者がいるであろうか? もちろん私には家族がいる。愛する妻もいるし、太陽を見上げるように顔を上げて父を見ている子もいる。しかし、彼らもやはりそれぞれ自分の生涯の四季を迎えているし、人生を追憶したりする。
幼児が少年となり、少年が青年となり、青年が大人となり、大人が老人となる。動作は遅くなり、さらには自分の腰もまともに伸ばすことができなくなる。しかし、老人には多くの経験があり、多くの知恵がある。そのような経験と知恵をもった者がそれらを文章として残さないというのはまことに惜しいことである。過去の経験がもたらした真珠のような文章を後の世代に見せることができないというのは大きな損失であると考える。
現代人は科学文明の恩恵を受け、速い速度で走っている。しかし、もし彼らが歴史を知らないのであれば、それは根を失った木のようなものであり、結局、実を結ぶことができなくなる。歴史学者が過去に起こったことを体系的に整理しているが、その当時の感情を語ることができる者がすべてこの世を離れてしまえば、過去の話はすぐに誤解され、深刻に歪曲され、異なる方向を流れるようになる。
生け花は美しいが、そこに蝶々が飛んで来ることはないし、実を結ぶこともない。私が過ごした過去の時代は人々に屈従を要求した。その時代にはそのように生きるのが人生であった。今になって過去の問題を掘り返して歴史を正すという動きもある。その意図はよいかもしれないが、間違えれば、根まで引き抜いてしまうこともある。それならば、木のいのちは終わってしまう。
私は歴史学者ではない。私はただ人生の小さな経験を通して四季を味わう者であり、自分が覚えていること、それを経験しながら感じたことを記録したいだけである。私は他の人の領域まで犯したくはない。ただ自分が生きてきた四季の話をしたい。『語りがある四季』は私だけの話ではなく、私たちすべての話である。随筆であるためにペンが走るままに書き進めた。恥ずかしくはあるが、その話はすべて真実である。
現在、月山の随筆は世界のさまざまな国の言語に翻訳されている。それに接した他の国の人々も私たちと同じように心の徳を増やしているという。老人の文章を愛してくださる同志のみなさんに感謝をささげる。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室