聖霊の力と天使の力
(使徒の働き12:1~17)
神は
三位一体でおられる
その方が
この世を創造して、
被造物を導かれる
神に造られたものの根源でおられる御子(御言葉)のために(黙3:14)
聖霊がすべてを成就される(ヨハネ16:7~8)
聖霊はただひとりでおられる(ヨハネ10:30)
しかし、
天使は天に満ちている(マラキ2:15)
天で働く天使がこの世に遣わされたのは
聖徒を助けるためであった(へブル1:14)
しかし、
聖霊の働きと天使の働きを分別しなければならない
聖霊は賜物によって、
神の御言葉によって働かれる(ヨハネ16:13)
天使はしるしと不思議によってその力を現す
聖霊は従う者だけを導かれる
天使はすべての肉体に働く(創19:10~11)
天使は救いを受けた聖徒に益をもたらすように働くが、
救いを受けることができない霊魂を呪ったりもする
○ 救いを受けた者の生活は霊的な生活である
霊的な生活とは
神を喜ばせ、神の力によって生きるものである
○ 初めの契約の下では天使の助けを受けて生きていた
新しい契約の下では天使の助けも受けるが、
聖霊の導きを受ける
○ 聖霊の導きを受ける者は賜物をもち、
天使の助けによってしるしや不思議を体験する
聖霊の働きと天使の助けは異なる
※ 霊的になろう
聖霊の導きを受けよう
そして、天使を働かせよう
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 6. 30 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私には生涯、走ってきた道がある。私がこの道を進むのは主が愛される使命をもって死ぬためである。人が一度、死ぬことは神が定められたことである。それを誰が避けることができるであろうか? どのような理由であれ、人は誰でも生涯を終える。しかし、聖書に記録されたように、人々は死を恐れ、死の前で卑怯になるし、死を栄光あるものとして受け入れることができない。
私たちはイエス・キリストから信仰を学ぶ。イエスは「私は死ぬ命令を父から受けた。」といわれた(ヨハネ10:17~18)。そして、「誰でも私について来るためにはまず死ぬ命令を受けなさい。そのようにしない者は私と関係がない。」といわれた。
私はこの御言葉が自分になされることを願う。人はどんなに死を拒んだとしても必ず死ぬ。どうせ死ななければならないのであれば、私はその死を自然死としたくない。私はこれを「主の国のために死になさい。」という意味としてはっきりと受け止めた。私はその日、ニネベの人々や南の女王から罪に定められないために主の御言葉に耳を傾け、主の御言葉を慕い求め、日々、長い旅に出る。真理が私を待っているのであれば、私はどこであっても探して行く。
私が確信するのは今、聖楽教会には私がいなければならないということである。このような私の考えをもって「傲慢である」と非難する者がいるかもしれないが、私はそのような非難を恐れない。私には今、聖楽教会で担わなければならない役割がある。それが私の使命であり、永遠な冠である。
私たちの教会の信仰がどのようなものでなければならないのか? 私はその模範を見せなければならないという使命をもっている。私は罪多き者である。しかし、今は罪人ではなく、神の子であり、イエスの弟子であり、「神の意図」をこの世に紹介した唯一の者である。私は小さな者であるが、私の中にはからし種のように私の世界が入っている。
愛する聖楽人のみなさん。聖楽教会とベレヤと視無言を永遠に捨てないでください。これらは歴史的にとても重要ですが、今はこの世が無視します。しかし、私がすることは神の御心通りに悪魔を滅ぼすことです。エバの時からはじまったこの戦争は地球の終末まで続きます。エバにはへびが敵として迫って来ましたが、最後にはへびではなく、竜が敵となって迫って来ます。
この世は文明を誇りながら、人が生きやすい世を夢見ます。このような人本主義は「あなたも神のようになる。」といって、人々を惑わします。へびが以前よりも数百倍、大きくなって竜となり、私たちと戦うために迫って来ます。神が「女の子孫がへびの頭を踏み砕く。」と約束されましたが、今日、それは「あなたがたが竜の頭を踏み砕く。」という約束とならなければなりません。私がすべきことと私が進む道はこのようにはっきりとしています。オォ、主よ! 主の御心が私たちの教会を通してなされるようにしてください! アーメン!
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室