
イエスの血
(へブル人への手紙9:11~22)
神は
聖なる方でおられる
その方は
不従順によって肉体が呪いを受け、(創2:16~17)
霊が死んだ人類を生かすために、
特別な賜物として自分の血を与えられた(使20:28)
これを特別啓示という(ヨハネ6:53~55)
イスラエルは
人に育てられた羊、人の手で建てられた神殿、
選ばれた大祭司を通して
罪の贖いを受けたが、これは毎年、繰り返される儀式であり、
天にあるまことのものの影であり、たとえであった(へブル9:1~10)
イエス・キリストの教会は
神の御子の血とささげ物を受けた
神の御子はよみがえって大祭司となり、
天にある聖所に入られた(へブル9:24~25)
これはただ神から出て来たことである(へブル10:5)
私たちはどうして
声を上げて賛美をし、喜ぶのか
私たちがささげる供え物は儀式ではない
天にあるまことのものによってささげられるものである
これを生きた供え物という(ローマ12:1~2)
○ 聖霊によってまことの供え物をささげ、
永遠な罪の贖いを受け、完全になる
○ 私たちの信仰を儀式に変えてはいけない
霊的なものによってまことの供え物をささげてこそ、
神が受けられる生きた供え物となる
○ 信仰は真理である
神が御子によって啓示されたものは完全無欠であり、
永遠に生かそうとするものである
※ イエスの血を信じて頼って歌おう
主イエスが来られるときまで証ししよう
イエスの血は永遠ないのちであり、力である
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 7. 7 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私たちは神に出て行くたびに感謝をささげる。それはどうしてであろうか? 私たちは人の手で建てられた神殿、人に育てられた獣の血、人が立てた大祭司によって神の御前に出て行くのではない。神が立てられた大祭司イエス、神から出て来た血、ささげ物によってまことの供え物、すなわち生きた供え物をささげる。
イスラエルは長い間、自分たちの言い伝えに従って神に仕えてきた。神は神に仕える彼らの方式を十字架によって廃棄された。そして、私たちにただ聖霊によって礼拝をささげさせた。神はそのように礼拝をささげる者を探される。
ある人は自分の信仰を神に届けることができないながらも、喜んで感謝する。彼らの行為は荒野で牛の偶像を作ってその前で踊り騒いだイスラエルのそれと異なるところがない。私たちは神が彼らを滅ぼそうとされたという事実を覚えなければならない。多くの人が本来、もっていた意志や誠意を信念の基礎とし、汗を流して熱心にささげようとする。しかし、それは神の啓示とは関係がない。神の啓示と関係がない供え物はむしろ罪を加える。
私たちが以前、もっていたこのようなむなしい言い伝えを廃棄するために、イエスは十字架で血を流された。私たちはバプテスマを受けてその方に結びつき、それによって愚かなものを葬った。しかし、古いものが続けて体に残っていて、罪を犯させる。それによって私たちは真理を知ったのちにもことさらに罪を犯すのである。
ああ、神にまことに感謝をささげる。私は十字架につけられたイエスと結びつき、古い人を葬ったという確信に満ちている。生涯、教えたり文章を書いたりして、聖徒や弟子に正しい教訓を与えようとしてきた。しかし、続けて自分の義を現したり、まことを尽くせばいいという惑わしに陥ったりして、ことさらに罪を犯している。イエスの恵みによって救いを受けた者が瞬間的に脱線して死ぬし、他の人も道づれにしようとする。まことにもどかしいし、愚かである。
神が御子をこの世に遣わして私たちの罪を贖われた。御子は私たちの信仰となり、信仰の道となられた。これを知りながらも背を向けるのであれば、それは自分を放棄することである。教会生活をどんなに長くしてきたとしてもそれによって益を得ることができない。
愛する聖徒のみなさん、真理に属する者となりましょう。真理だけが私たちの霊魂を自由にし、死の道から脱け出させます。真理に属する信仰がまことの信仰であり、その信仰だけが永遠のいのちを与えます。神から与えられた信仰をもって、神から与えられた聖霊によって信仰生活をしましょう。私たちは真理の人です。人の考えは真理ではありません。イエス・キリストの教訓だけが真理です。真理によって信仰生活をしましょう。アーメン!
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室