神は霊でおられる
(ヨハネの福音書1:17~18)
神は
霊でおられる
その方が
この世に自分を現された(ヨハネ17:3)
天使をイスラエルに遣わして、イスラエルの(出3:7~9)
神とし、「エホバ」という呼び名を知らせた(出3:15)
神の義を知らせた(出19:21)
また、ふところにおられたひとり子を現された(ヨハネ1:17~18)
そのひとり子は人類の救いのために恵みと真理によって来られた
「イエス」という名をもって現れた(マタイ1:21)
父なる神は霊でおられるために、誰も見ることができない(ヨハネ4:23~24)
神の御子はふところから現れた方でおられるし、
天使は造られた霊である
「エホバ」という呼び名はアブラハムの子孫を導いたし、
「イエス」という名は人類の霊魂を生かした
「エホバ」に属した者は野生種のオリーブの木である(ローマ11:17)
「イエス」に属した者はまことのオリーブの木である
誰でもバプテスマを受けなければ、まことのオリーブの木ではない
バプテスマを受けた者だけがまことのオリーブの木につながれた
野生種のオリーブの木がまことのオリーブの木につながれたので、同じ根から
恵みと真理の聖霊を受ける(ローマ11:18)
○ 「イエス」の証人と「エホバ」の証人は
2本のオリーブの木、2つの燭台であり、新約教会と旧約教会である
聖霊は新約教会に臨まれる(黙11:4)
○ 「イエス」の証人は知るものに礼拝をささげるし、
「エホバ」の証人は知らないものに礼拝をささげる
父なる神はひとりの方であり、霊でおられる
○ 唯一のまことの神と
その方が遣わされた御子を知るのが永遠のいのちである
「イエス」は見ることができない本体のかたちでおられる
※ 神を知るためには人の子を知らなければならないし、
人の子を知るためには御言葉を知らなければならない
聖霊によってだけ知ることができる
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 7. 14 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
2019 夢山浦夏季修練会への招待
霊、魂、体を愛するみなさんを夏季修練会に招待します。今回の修練会は第4回特別神癒集会として開催されます。
私たちが信仰をもつのはただ霊魂に益を与えるためではありませんし、ただ肉体に益を与えるためでもありません。神は私たちの霊、魂、体をひとつの人格として扱われます。このように神に召されて用いられるみなさんを夏季修練会に招待します。この招待は人の思いではなく、神の御心によるものです。私たちは神を愛するために、そして、神の御心に従って生きるためにさらに力を尽くして行わなければなりません。
どんなに神を喜ばせると告白したとしても、神の御心が何であるのかを聞くことができないのであれば、神の御心に従って何かをしなければならない状況であっても「どうしてそれをしなければならないのか?」という消極的な考えをもつようになります。私たちがはっきりと知らなければならないのは神の御名によってなされる集会は人の思いによって進められるのではないという点です。
神は極めて大きな方でおられますが、極めて汚れたこの世を顧みられました。神はこの世の悲しみに耐えて生きている人々を救って慰めるために御子を遣わされました。神の御子は父の御心に従って十字架につけられ、血を流して死なれました。神がこのようにはっきりとした救いの証しを現されたのは人を愛する神の御心が人々から観念的に受け入れられないようにするためでした。
神がこの世を愛されたというのは思想や教理ではありません。神は血を流されましたし、この世はその赤い血を見ました。神は人間に向けられたその愛が抽象的なものではなく、実状であるということを現されました。これは天と宇宙とこの世で誰も否定することができない真理です。私たちが受けた神の愛は抽象的なものではありません。神は自分の血を流して、私たちの罪を贖ってくださいました。私はこの事実をはっきりと知ったために、小さな自分の命をささげながらその証人になろうとするのです。
神の愛は神の血にあります。神の血は神の愛です。聖霊がこれを証しされます。悪霊が自分の正体を現して離れて行くのはその血の力を知っているためです。私たちは神の御言葉が真理であり、神の血の御言葉であるという事実を確信します。私たちは誰かの噂話をするために集まるのではありません。私たちは生きておられる神の真理を確信し、それが実状であるということを疑いません。
すべての肉体には血がなければなりません。私たちは神の血がもつ力と愛と恵みを信じます。それゆえ、私たちはそれを体験しなければなりません。私たちの信仰は実状です。今回の修練会に参加して神の愛を受けましょう。みなさんを招待します。感謝します。
視無言
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室