【質問】
教会に通う者は「イエスを信じれば、救いを受ける。」といいますが、ある時は「神から与えられた律法をよく守ってこそ、救いを受ける。」というようにいったりもします。とても紛らわしいです。いったいどのようになっているのでしょうか?
教会に通う者は「イエスを信じれば、救いを受ける。」といいますが、ある時は「神から与えられた律法をよく守ってこそ、救いを受ける。」というようにいったりもします。とても紛らわしいです。いったいどのようになっているのでしょうか?
律法によって人類に神の意図が伝えられたのは「罪の価は死である。」という揺れ動くことがない神の裁きを悟らせるためであった。そして、福音によって人類に神の意図が伝えられたのはイエス・キリストの恵みによって救いと永遠のいのちを得させるためであった。どうして救いを受けなければならないのかということを悟ることができなければ、救いを受けようとしない。しかし、律法を通してそれを悟るようになれば、人類はイエス・キリストの恵みを受けようとする。イエスは「人の子が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」 といわれた。そのようにイエス・キリストの恵みは罪人のものである。それを伝えるのが福音である。 そうだからと言って、これは恵みを受けさせるために罪を犯させるという意味ではない。罪を犯しながらも自分が罪人であるということを悟ることができない者に、自分が罪人であるということを悟らせるのが律法の用務である。
(金箕東 著 『真理と自由』「1. 自由人」より)