まず罪の赦しを受けなさい
(マルコの福音書2:1~12)
神は
義でおられる
その方が
私たちを義とするために御心を立てられた
これは永遠の前に定められた啓示である(ローマ16:25~26)
誰でも光に来れば、暗やみの中にいない(マタイ4:16)
神の光に出て来れば、光の人である(ヨハネ8:12)
神の御言葉は神の光であり、血である(ヨハネ1:4)
アベルは信念によってその光を見たために、
義なる者という証しを受けた(へブル11:4)
アブラハムは光について約束を受けたために、
義にとどまるという啓示を受けた(創15:6)
私たちは光をもった者、すなわち光の子である(エペソ5:8)
神は義とされたという証しとして
聖霊を私たちの心に与えてくださった(Ⅱコリント1:21~22)
聖霊はイエスの名を証しされる(ヨハネ15:26)
イエスの名は自分の民を罪から救うという意味である(マタイ1:21)
イエスの名にひざまずいて
神の御前に出て来れば、神は栄光を受けられるし、
イエス・キリストは救いを行われる(ヨハネ14:13~14)
イエスを信じる者は罪の赦しを受けた
○ まず罪の赦しを受けなさい
罪は人が洗い流すものではなく、
神が恵みとして赦されるものである
○ 順序が入れ替われば、救いを受けることができない
まず罪の赦しを受けなさい
そうすれば、救いを受ける
○ バプテスマを受けることによって情欲の人を脱ぎ捨てなさい
情欲は肉体の欲であり、罪を加え、
神の敵となる
※ 罪の赦しをまず受けなさい
そして、病気の癒しを受けなさい
これは信仰であり、従順である
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 9. 22 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
雨後の筍のように現れる宗教化された教会のひとつではなく、独立バプテスト教会として設立され、開拓されたのが聖楽教会である。私は独立宣教活動として神癒福音伝道会を創設しながら10年余り伝道活動をした。また、そののちに独立宣教会から牧師按手を受け、独立バプテスト教会を開拓した。いつの間にか半世紀を迎えたが、私はこれまで既存教団、教権主義、教理中心の教会ではなく、それらとは差別化された教会として、ただ聖書の絶対的な権威を受け入れ、命を尽くして「還言ベレヤ運動」をなしてきた。
私は聖書の権威、そして、「神の意図」という信仰と神学の岩の上で、弟子の養育に全身全霊を傾けてきた。「ベレヤ神学」の客観化のために「ベレヤ国際大学院大学」を設立し、使命者を養成するための準備を整え、弟子を養育してきた。また、ベレヤの使命を世界化するために雑貨屋のような小さな空間ではなく、世界最大規模のクリスチャン世界宣教センターとリーダーセンターを備えた。そして、枯れることなく、湧き上がってくる生ける川の水のような福音仲裁の著書を260冊、執筆し、その根を育ててきた。
キリスト教は救いがない、エホバを神と呼ぶ昔の宗教から脱け出し、イエス・キリストを救い主と信じて生まれ変わり、それによって改革を完了した。昔の宗教をもつ旧約教会はイスラエルの民族教会であり、自分の義をなそうとするが、キリスト教会はただ神の義を求めて信仰によって行う。
私たちはシナイ山に来たエホバを救い主と信じる者ではなく、インマヌエルとしてこの世に現れた神の御子イエスを救い主と信じる者である。エホバは自分の民の罪を自分の民に問い、自ら負うことはなかった。しかし、私たちの神でおられるイエス・キリストは人類のすべての罪過、呪い、死を自分の体に負われた。それゆえ、私たちは自分の義を下ろして、ただイエス・キリストの義を恵みとして受ける。聖霊はイエスの血によって買い取られた者をひとりとして失わず、バプテスマを受けた霊魂に印を押し、保証として私たちの心の中に入って来て、力と賜物をもって働かれる。
何をもって改革というのであろうか? 私たちはイエス・キリストの死と復活を信じ、その方と結びつくためにその名によってバプテスマを受けた。これが改革である。それなのに、父、子、聖霊の三位一体の神の救いを根本とするキリスト教会を再び改革しようというのであろうか? 教会改革という用語は一般常識にも反する詐欺である。彼らの主張は改革ではない。金箕東父子を教会から追い出し、教会の財産を奪い、自分たちで分け合おうとするものである。それのどこが改革であろうか? その内情が明らかになったので、金箕東父子は絶対に引き下がることはない。教会の財産をどのようにして私有化することができるであろうか? 偽りを言う者こそ私有化を企んでいるのである。
ベレヤと視無言と聖楽教会はひとつであり、独立教会である。視無言は霊的な指導者として召された土の器である。それゆえ、視無言には霊魂が集まってくるが、偽りを言う者は教会を分裂させ、教会を破壊する。神が視無言を長生きさせるのを見なさい。視無言は勝利するために昼夜、目を覚ましている。
聖楽人よ! アロンとフルとなってください。これは私の願いです。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室