ベレヤ人
(使徒の働き17:10~15)
神は
真理でおられる
その方が
この世に御言葉を現されたが、真理である(ヨハネ14:6)
律法や預言者は真理のための預言である
真理についてのたとえであり、影である(へブル9:9~10)
イエスは影やたとえではなく、
真理でおられる
その方がすべてを完成して天に上り、
聖霊を遣わされた(ヨハネ16:7~13)
聖霊は聖書に真理を記録された
聖書は聖霊によって霊感を受けた者が記録したものである(Ⅱペテロ1:19~21)
聖書を見るときには、
イエス・キリストの公生涯をそのまま見るのである(ヨハネ20:31)
それゆえ、
イエス・キリストの実状と福音は真理である(ヨハネ8:32)
イエスは立法者でおられるし、その御言葉は真理である(ヤコブ4:12)
この世は二元論に満ちているが、
聖書だけがまことの御言葉であり、真理である
最終的な判断はただ聖書の御言葉による(使17:11)
人の知恵や知識はすべて放棄することができるが、
真理は永遠のいのちの御言葉である
○ 牧師の言葉も貴いが、
聖書の御言葉はさらに貴い
○ この世の常識や哲学も貴いが、
果たしてその通りかと聖書を調べなければならない
聖書の真理の前で頭を上げる知識はない
○ 聖書に従おう
真理を信じて頼ろう
いのちと自由は真理にだけある
※ 私たちはベレヤ人を模範として
聖書に記録された真理に従う者である
まことのベレヤ人となって真理に従おう
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 10. 13 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
神は霊でおられる(ヨハネ4:23~24)。霊はまことである(ヨハネ17:3)。まことは真理である(ヨハネ14:6)。真理は御言葉である(ヨハネ1:1)。御言葉は神の霊の本体であり(ヨハネ6:63)、イエスはそのかたちでおられる(ヨハネ1:14、18)。これを認めるのが神に属した霊である。これを否認するのが反キリストの霊であり、この世に属した霊である(Ⅰヨハネ4:1~4)。神に属した霊は神に属した言葉を語るし、神に属した者はその言葉を聞く。神に属さない者はこの世に属した言葉を語るし、この世に属した者はその言葉を聞く。これによって真理の霊と反キリストの霊を分別する。
神の御言葉の本体のかたちである方はバプテスマを受けられた。そのとき、天から「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:17)という声が聞こえた。そのナザレの青年が神の御子でおられる。この世はそれを初めて知り、神の本体のかたちを見た(マタイ16:15~17)。それゆえ、神は弟子たちに「モーセやエリヤ(預言者)の言葉ではなく、イエスの御言葉を聞きなさい。」といわれた(マタイ17:5)。そして、イエスはシナイ山(モーセ)でもなく、エルサレム(エリヤ)でもなく、「私の言葉を信じなさい。」といわれた(ヨハネ4:21~22)。
聖霊は真理の霊であり、イエスが語られた言葉を知らせ、思い起こさせ、悟らせる(ヨハネ14:26)。聖霊はイエスを証しされる(ヨハネ15:26)。イエスは人の証しを受けられない(ヨハネ5:34)。それゆえ、イエスは「聖霊を待ちなさい。聖霊が臨まれるとき、力を受けるし、エルサレムからはじまって地の果てまで私の証人となる。」といわれた(使1:8)。そして、「聖霊によらなければ、誰も私を主と認めることができない。」といわれた(Ⅰコリント12:3)。
私たちは聖霊によって心の奥底を満たさなければならない(ヨハネ7:37~39)。聖霊が臨まれれば、私たちを真理に導かれる(ヨハネ16:13~14)。これが還言の使命をもったベレヤ人の絶対的な信仰である(使17:11~12)。
愛する聖楽人のみなさん。教会を守ろうというのは真理を守ろうということです。これはこの世代だけではなく、次の世代にも、その次の世代にも、主が来られる日まで続けられなければなりません。悪魔(竜)はイエス・キリストの証しをもった者と戦おうとして海辺の砂の上に立ちます(黙12:17)。みなさんは聞くだけではなく、聞いて信じたことを証ししなければなりません。このために首をはねられた霊魂は必ず第一の復活に入って行きます(黙20:1~5)。
このメッセージを聖書に貼り付けて、携帯電話に保存して、常に振り返るようにしてください。私たちはすべて使命者です。まことのベレヤ人です。年老いた元老監督の遺言のような言葉を聞いてください。感謝します。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室