【質問】

律法も神から与えられたものではないでしょうか? それなのに、どうして律法から解放されなさいというのでしょうか?

聖楽宣教センターの回答です。

律法は罪に定める法である。それゆえ、律法から自由にならなければ、罪人であることを免れることができない。律法から自由を得る道とは福音を信じることである。福音を律法の代わりとし、福音を信じることによって恵みを受けなければならない。これは律法を無視しようという意味ではなく、律法の要求をすべて満たされたイエス・キリストの功労を受けて自由を得なさいという意味である。律法が罪に定める力よりもイエスの功労を頼る信仰が大きくならなければならない。罪に対する恐れよりも恵みに対する感謝が大きくならなければならない。
裁きに対する恐れよりも恵みに対する感謝が大きくならなければならない。裁きに対する恐れよりも救いについての信仰が大きくならなければならない。律法に現れた義よりも福音に現れた神の御心を頼らなければならない。律法の行為によってではなく、聖霊によって霊的な生活をさらに熱心にしなければならない。罪がないふりをしながら誇らないで、罪の赦しを受ける喜びを証ししなければならない。自分の行為によって義人になったと誇らないで、イエス・キリストによって義人になったと誇らなければならない。律法のしもべとなったことを誇らないで、聖霊の人となったことを誇らなければならない。

(金箕東キムキドン 著  『 真理と自由』「5. 罪とは自由を喪失したものである」より)