【質問】

神についての説明が旧約聖書と新約聖書で異なっているように見えます。どうしてでしょうか?

聖楽宣教センターの回答です。

旧約聖書は神の計画を部分的に語った。そのように語られたために、部分的にだけ知らされたものもあったし、おぼろげに紹介されたものもあった。それゆえ、旧約聖書はむしろ誤解を抱かせることもある。しかし、新約聖書は天で定められた御心がこの地でもその通りになされているということをはっきりと見せた。
旧約聖書を通しては神を見ることができないが、新約聖書を通しては神を目で見ることできる。これは私たちがイエス・キリストを目で見たということである。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)
「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」(ヨハネ1:18)
​イエス・キリストは神の本体のかたちでおられるし、神のふところから現れたひとり子の神でおられる(ピリピ2:6~9)。父なる神が御子でおられるその方にすべての権勢を与えられたために、御子はこの世を裁き、死んだ者を生かし、自分に属した者を救われる。

(金箕東キムキドン 著 『偉大なる平信徒指導者の道』「3. 平信徒のベレヤ運動 」より)