【質問】
愛でおられる神が惑わす力を送り込まれるというのはどのような意味でしょうか?
愛でおられる神が惑わす力を送り込まれるというのはどのような意味でしょうか?
イザヤ書66章は人が忌むべきものを喜ぶので、神も彼らを惑わすことを選ばれるといっていますが、この惑わしは変質した天使、すなわち惑わしの霊の活動を指します。
「牛をほふる者は、人を打ち殺す者。羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。穀物のささげ物をささげる者は、豚の血をささげる者。乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。実に彼らは自分かってな道を選び、その心は忌むべき物を喜ぶ。わたしも彼らを虐待すること(訳者注: 韓国語の聖書では「惑わすこと」)を選び、彼らに恐怖をもたらす。わたしが呼んでもだれも答えず、わたしが語りかけても聞かず、わたしの目の前に悪を行い、わたしの喜ばない事を彼らが選んだからだ。」(イザヤ66:3~4)
ある人は理性的なふりをしながら、神の御言葉を論理的に理解することができないために信じることができないといいます。これは人の前では賢く見えるかもしれませんが、神がご覧になるには忌むべきことです。テサロニケ人への手紙第二2章ではこれに対して警告しています。
「それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。」(Ⅱテサロニケ2:11~12)
ある人が信じようとしないときに、神はその人にさらに信じることができないように惑わしを働かれて、裁きを受けさせます。もう一度言うと、不信仰が習慣化されてしまえば、神は天使を変質させて、惑わしを働かれ、真理を信じることができないようにされます。
「また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。」(ローマ1:28)
神は天使を通して聖徒を助けられるだけでなくて、場合によっては惑わしの霊を通して惑わしを働かれます。惑わしの霊は神に反逆した霊でなくて、神に使われる霊です。彼らは天で堕落した霊ではなくて、この地で聖徒を助けて変質した天使です。
惑わしの霊は惑わされた者の周囲を一生涯、離れないで、続けて苦しめます。アハブ王は自分についている惑わしの霊によって、義なる預言者の言葉よりも偽りの預言者の言葉を信頼しました。サウル王は自分についている惑わしの霊によって、自ら自制することができないほどに翻弄されました。
神は人々が神の御言葉を信じるように助けられるだけでなく、信じようとしない者にはさらに信じないように惑わしを働かれます。偽りを好む者にはさらに偽るように惑わしを働かれ、嫉妬を好む者にはさらに嫉妬するように惑わしを働かれます。惑わしの霊が働くと、忌むべき行為が習慣化されます。このように惑わしの霊は神に敵対する霊ではありません。彼らはただ神の御前で忠誠し過ぎて変質した者です。
(金箕東 著 『悪魔論(下)-悪霊とは』より)