【質問】
聖書で語っている「よみ」とは地獄を意味するのではないでしょうか?
聖書で語っている「よみ」とは地獄を意味するのではないでしょうか?
イエスは「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」といわれました(マタイ16:18、訳者注:「ハデスの門」が韓国語の聖書では「よみの権勢」)。教会が建てられているこの世がよみです。ユダの手紙6節は神が堕落した天使を永遠の束縛をもって暗やみの下に閉じ込められたといいました。また、コロサイ人への手紙1章13節は悪魔を指して暗やみの圧制といいました。さらに、エペソ人への手紙2章2節は悪魔を空中の権威を持つ支配者といいました。広い意味で、よみとは堕落した天使を永遠の束縛をもって閉じ込めた暗やみ、もう一度言うと、宇宙全体を指します。
よみという言葉には「落ちた場所」という意味があります。人々は「落ちた」という意味を考えるときに、私たちが立っているこの地を基準にするために、よみをこの地の下と考えます。しかし、悪魔は天から落ちた者です。ヨハネの黙示録12章7~9節は「さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。」といいましたし、12節は「それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」といいました。そして、17~18節は「すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。そして、彼は海べの砂の上に立った。」といいました。
ヨハネの黙示録12章7節でいう天とは悪魔が権勢をもっていた空中の天を指します。悪魔は神の天から追われて来たのちに、空中の権勢をもって空中の天を支配していました。イエスが苦難を受けておられたときに、空中の天では悪魔とミカエルの戦いがありました。そして、キリストがよみがえられたときに、悪魔はミカエルに勝つことができずに、この地に追われて来ました。空中を支配する権勢を失ったために、この地に追われて来て、イエスの証しをもった者を苦しめはじめました。もう一度言うと、悪魔は神の天から空中の天に追われて来ましたし、イエスがよみがえられたときにさらに空中の天からこの地に追われて来ました。
よみは天を基準として落ちたところです。悪魔が権勢をもっていた空中はよみの一部です。また、空中の権勢を失った悪魔が下りて来ているこの世もよみの一部です。悪魔が今、この世で専念していることはイエス・キリストの証しをもった者、すなわちキリスト者に敵対することです。前の章で調べたように、悪魔はその使いたちを偽預言者の霊、反キリストの霊、異端の霊として、キリスト者に敵対しています。それゆえ、この地では教会が絶えず悪魔の攻撃を受けるしかありません。しかし、イエスはよみの権勢が教会に打ち勝つことができないといわれました。
(金箕東 著 『悪魔論(上)-悪魔とは』より)