
悪霊を追い出しなさい
(マタイの福音書12:43~45)
神は
永遠のいのちでおられる
その方が
私たちを生かすために御言葉を遣わされたが、(ヨハネ1:14)
イエス・キリストでおられる(マタイ1:23~25)
イエスがこの世で自分の働きをされたときに、
悪霊がまずその方を知って身震いした(ヤコブ2:19)
「私はあなたがどなたであるのかを知っています
神の御子です」と身震いした(マルコ3:11、1:23~24)
イエスが行かれたところではどこでも悪霊が離れて行った(マルコ1:32~34)
イエスは弟子たちにも悪霊を追い出す権勢を与えられた(マルコ3:13~15)
伝道するために出て行くときには「二枚目の服も下着ももたないで、
ただ病気を癒して悪霊を追い出しなさい」といわれた(マタイ10:8~10)
信じる者にはしるしが伴うといわれた(マルコ16:17~18)
これはその方が生きていて、ともに働かれるということを証しする(マルコ16:20)
聖霊が私たちの中に入って来て悪霊を追い出すのであれば、
神の国が私たちの中に来ている(マタイ12:28)
国に王がいるように、
聖霊が来て王となれば、その方の国が臨んだのである
聖徒の権威が悪霊を身震いさせるのではない
聖徒の中で働く、権威ある真理が悪霊を追い出す(マルコ1:27)
○ 悪霊を追い出すのが信仰ではないが、
信仰は悪霊を追い出す力をもっている
主イエスがともに働かれる
○ 悪霊は人から出て行ったとしても再び入って来る
悪霊が出て行ったのちには熱心に祈らなければならない
悪霊が恐れるくらいに祈らなければならない
○ 宗教は悪霊を追い出すことができない
キリスト教会は悪霊を追い出して、
病気を癒す
※ 神のふところに入って来た者は悪霊も知る
信じる者にとって悪霊は恐れる存在ではなく、
イエスの名によって追い出さなければならない敵である
【牧師コーナー(松竹岩)】 2020. 02. 02 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
聖楽教会は独立バプテスト教会である。私が教会を開拓するときに神の御前で定めたのがこの点であった。教権に抑圧され、宗教化し、堕落した人本主義教会から遠く離れて孤独な道を歩んできた。神は天でなされた御心をこの地でなそうとしてイエス・キリストを遣わされた。イエスが教会のかしらでおられるし、教会はその方の体である。教会のいのちは神の啓示によるものである。イエス・キリストは教会を聖霊に委任されたし、聖霊は監督に霊感、力、権勢を与えて教会を牧させた。それゆえ、監督は多くの祈り、完全な信仰、使命をもって教会を養育する。
イエスは教会のかしらであり、大牧者でおられる。監督は大牧者が来られるときまで専門的に羊を牧する牧者である。牧者がいない羊の群れはすべて散り散りになってしまう。神はこれを警告された。独立教会においてその主体はイエス・キリストの体である。
バプテスト教会は憲法や章程のような法を置かない。聖書だけを信仰と教会運営の模範とする。教会の中にある事務処理会とは教会総会を意味する。年に一回、開かれるのが基本であるが、教会の重要な案件を協力して決めるために臨時に開かれることもある。事務処理会においては監督が議長を務め、招集と進行を担当し、教会の有益のために会議を導く。
また、小委員会とは事務処理会ではなく、事務処理会から委任された委員会である。事務処理会は教会の重要な事項を執行する監督の牧会所信と霊感を保護する、客観的な手続きである。それゆえ、監督は事務処理会の助けを受けることによって重要な事項を適切に、そして、大胆に執行することができる。事務処理会は監督を牽制する装置ではなく、絶対的に助ける信仰共同会議である。このためにこれまでの50年間、耐えて、血を流しながら守ってきた。
毒麦が育って教会に混乱と苦痛をもたらしたが、この教会は視無言が建てて守ってきた、イエス・キリストの教会である。独立バプテスト教会が世界史の中で模範として立っていくように、ともに悟り、心と思いと品性と力を尽くさなければならない。そして、監督の牧会と牧師としての権威を回復するように助けなければならない。牧者を悩ませることはすべての霊魂に深刻な害を与える行為である。絶対にしてはいけない(へブル13:17)。
教会に分派を作って自分たちが教会を運営するかのような不義を行ってはいけない。神は父、すなわち義でおられる。神の御心に逆らう者は不義である。すべての人が謙遜でなければならない。独立教会の伝統を無視しようとする、どのような悪意も受け入れることができない。不義や妥協をもたらす、どのような名分も許容することができない。監督中心の独立バプテスト教会となってこそ、霊的に生きる。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室