十字架の力
(コリント人への手紙第一1:18~25)
神は
まことでおられる
その方が
この世を愛されたのはまことである(ヨハネ17:3)
それゆえ、
神の御子もまことでおられるし、
神の御言葉もまことであるし、
神の知恵もまことである(ヨハネ8:45)
神のまこととこの世の不義がともにつけられたために、
判断して選択しなければならない(マタイ9:13)
十字架とは何であろうか?(Ⅰコリント1:18)
呪いを受けた者を呪う刑罰の道具ではないか(ガラテヤ3:13)
十字架につけられた者は誰であろうか?(マタイ16:21)
神の御子、キリストではないか(マタイ16:23)
人が十字架につけられているのであろうか
人がつけられたのであれば、その人は呪いを受けた者である
神の御子がつけられたのであれば、それは義人の死である(マタイ27:54)
人の知恵によっては罪人がつけられたと考える
神の知恵によっては呪いを受けた罪人の代わりに神の御子がつけられたということを知る(ルカ23:39~43)
人がつけられたのであれば、滅びたのである
神の御子がつけられたのであれば、その信仰は生きている
〇 それゆえ、信仰によって十字架を見れば、救いを受ける
人の知恵によって見れば、滅びる
キリストに罪を預け、キリストと結びつけば、生きる
〇 人の知恵によっては木につけられた者が呪いを受けたと考える
神の知恵によってはキリストが呪いを担われたということを知る
イエスに罪を預け、イエスと結びついた者は救いを得る
〇 神の知恵と人の知恵はそれぞれ異なる
神の知恵に従うのであれば、信仰である
人の知恵に従うのであれば、滅びる
※ ユダヤ人が要求するしるし、ギリシヤ人が追求する知恵は無益であるが、
神の知恵は信仰であり、力となる
霊感によって十字架の道を見よう