2020. 11. 01 十字架の道(御言葉) (コリント人への手紙第一1:18~25)

 

十字架の道(御言葉)
(コリント人への手紙第一1:18~25)

神は
義でおられる
その方が
この世に御言葉を遣わされたのはその方の愛であった(ヨハネ3:16)
この世では罪と宗教が衝突する(マタイ23:13)
罪は宗教を否定するし、宗教は罪を嘲笑するが、
すべてが不義である(へブル9:14~15)
罪は神に逆らうし、
宗教は神をあざむく(へブル11:6)
この2つは硬貨の表と裏のようなものであり、顔だけが異なる
神が憎まれる不義の道を行く
十字架の道とは
神の義のために神の御心に従うことである
イエスは義のために神の御心をなそうとして来られた(ヨハネ6:38~39)
それゆえ、
罪は不従順であるし、宗教は高ぶりである(Ⅰコリント3:10~17)
神の義を知らなければ、罪悪である
この世は十字架の道を恥ずかしいものと考えるが、これは(へブル12:2)
神の知恵であり、力である(使4:12)
救うという者が殺されたので、呪いである
呪いの十字架の道は愚かなものとして宣べ伝えられる
〇 イエスは「誰でも私に従おうとするのであれば、
自分を捨てなさい、
そのようにしてこそ私の弟子である」といわれた
〇 自分を捨てる道は自分の十字架を負い、
血を流すまで不義と戦うことである
罪は死ぬし、義だけが生きるが、それが十字架の道である
〇 神の法則は人の考えと異なる
イエスも義に従って神の御心に従われた
それが十字架の道である
※ 自分の義は高ぶりであり、宗教である
不従順は罪悪であり、不信仰である
十字架の道だけがこれを克服する