2021. 03. 07. 新しいぶどう酒は新しい皮袋に (マルコの福音書2:13~22)
新しいぶどう酒は新しい皮袋に
(マルコの福音書2:13~22)
神は
天で御心をなされた
その方は
愛する御子をこの地に遣わして
この地でもその御心がなされることを願われた(マタイ6:10)
イエスという名には天でなされた、
神の御心があふれている(マタイ1:21)
イエスが来られたのは正しい人を招くためではなく、
罪人を招いて悔い改めさせるためであった(マルコ2:17)
この世の宗教は倫理や道徳を重視する(マタイ5:17~20)
それゆえ、罪人とともにすることを不徳なことと考える(マルコ2:16)
しかし、
イエスは医者を必要としない健康な者を招くために来られたのではなく、
医者を必要とする病人を招くために来られた
その方は宗教のためにこの世に来られたのではなく、
宗教が担うことができない罪人を招くために来られた(マタイ3:5~9)
宗教は古い皮袋であり、新しいぶどう酒を入れることができない
イエスは悔い改めて宗教をもたない者を新しい皮袋と考えられる
真理は宗教によって妨げられ、
宗教から常に道徳的な判断を受ける(マタイ23:1~7)
聖霊は宗教の中に入って来られない
悔い改めた者に臨んで働かれる(使2:37~38)
○ 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければならないように、
宗教的な良心によっては真理を受け入れることができない
○ 主の招きを見なさい
主は宗教的な義人ではなく、
すべての人から非難を受けるような者を招かれた
○ 宗教的な良心を誇ってはいけない
罪人の心をもって悔い改め、
バプテスマを受けてこそ、新しい皮袋となる
※ 宗教的な良心を誇る者は主のしもべとなることができない
取税人や遊女のような罪人が
悔い改めて帰って来るときに、主から選ばれる