2021. 06. 27. イエスの名が知れ渡った (マルコの福音書6:14~18)

イエスの名が知れ渡った
(マルコの福音書6:14~18)

神は
善良でおられる
その方が
この世が見ることも知ることもできない自分を
知らせるために恵みを施された(ホセア6:3)
まずイスラエルに自分を知らせるために
モーセを選んで律法を与えられた(出20:1~3)
イスラエルの民は律法を通して
神を知るときに、神を恐ろしい方と知った(詩22:23)
また、預言者を通してこれがイスラエルの子孫に
伝えられたために、民にとって律法や預言者は
恐ろしい存在であった(出7:1)
神は恐れる者に
イエスを遣わされた
これはイエスによって(ヨハネ3:16)
憐れみを知らせるためであった(Ⅰヨハネ4:8)
人々は悪霊が
イエスの名によって追い出されるのを見て、
「バプテスマのヨハネがよみがえってイエスの中で働いている」といったり、
「死んだ預言者の霊が生き返った」といったりした
これは死んだ者が死後にも存在するということを認めたのである(マルコ6:14~16)
イエスの名はこのように知れ渡った
○ ヘロデは自分の罪に抑圧されて恐れた
臣下たちはエルサレムで死んだ預言者と考え、
死んだ者の霊魂が生き返って働いていると信じた
○ 死のとげは罪であるし、罪の力は律法である
律法の下で抑圧されている者は恐れに震えている
○ イエスの御言葉通りに、サタンがサタンを追い出すことはできないし、
主人よりも強い者が主人を追い出す
イエスの名は天の力である
※ ヘロデ王と臣下たちは高等教育を受けた知識人であった
彼らは異口同音に「人の死後の存在が人の体に
入って行って働く」と主張した

2021. 06. 20. イエス、郷里で排斥を受けられる (マルコの福音書6:1~6)

イエス、郷里で排斥を受けられる
(マルコの福音書6:1~6)

神は
御子を愛される
その方が
愛する御子をこの世に遣わして、
「父の御心を行いなさい」という戒めを与えられた(ヨハネ10:15~18)
御子は人類を罪から救うために来られた(ヨハネ6:39~40)
イエスはアブラハムの子孫としてお生まれになったが、(マタイ1:1~17)
神の御子であり、人間の血統によってはお生まれにならなかった(ヨハネ1:13)
その方の郷里をナザレといったが、
本当の故郷はよみの外にある天であった(ヨハネ14:1~2)
郷里の人々は肉体によって生まれたために、
聖霊と御言葉によって生まれた方を知ることができなかった(ローマ8:5~6)
それゆえ、
その方は本質的にこの世から歓迎を受けることができなかった(ヨハネ8:40)
この世は悪魔に属していて、その支配を受けている(ヨハネ8:44)
天は神の本体であるし、神の御心がある
イエスが真理を語られたとしても、
郷里の人々はそれを聞き取ることができなかったし、
その出身と身分の低さによってイエスを無視しようとした(Ⅰヨハネ4:5~6)
イエスは力が足りなかったために排斥を受けられたのではなく、
この世が担うことができなかったために排斥を受けられたのである(ヨハネ3:16~18)
○ イエスは信じない郷里の人々の前では
何の力も行われなかった
力としるしは信じる者にだけ伴う
○ 今日、道徳的に判断して、
真理を排斥する
真理が排斥を受けるのは当然なことである
○ イエスが心を痛められたその経験を真理と知って、
私たちもそれと同じ排斥に耐えなければならない
心を開かない者には無理やりに力を行ってはいけない
※ それは真珠を犬に与えるようなものであり、
豚の首にかけるようなものである
戸を開いて祝福を受け入れる家で力を行おう

2021. 06. 13. 恐れないで、ただ信じなさい (マルコの福音書5:35~43)

恐れないで、ただ信じなさい
(マルコの福音書5:35~43)

神は
全能な方でおられる
その方が
この世に御子を遣わされたのはこの世を救うためであった(ヨハネ3:16)
御子は御言葉が肉体となって来られた方である(ヨハネ1:14)
御子は父とともに創造者であり、(ヨハネ1:2)
天と地とその権勢をすべて得られた方である(マタイ28:18~20)
イエスには不可能なことがない(ヨハネ11:40)
病気にかかった者や死んだ者を生かされる(マタイ8:7~8)
これはイエスの名の意味であり、完全な救いである(使2:38~39)
この世は信念を頼ったり、占いをしたり、(Ⅰサムエル28:7)
科学を盲信したりして、自ら奴隷となっている
この世はすぐに変わっていく(マタイ24:35)
この世に永遠な約束はない
しかし、
神は永遠でおられるし、その御言葉は永遠な約束である(黙21:5~7)
神を恐れないで、(マルコ5:36)
この世のことを恐れないで、(マルコ4:40)
主イエスを信じるのがいのちである(ヨハネ14:6)
これよりも完全無欠な契約はない
人の子となった方が木につけられて死んだのちに
生き返られたが、これが証しである(ヨハネ20:19~23)
○ 疑いながらイエスに近づくのは死んだ信仰である
信仰に自分の命を預けなければならない
○ 信じたことはどの場合にも疑ってはいけない
信仰に自分の一生をかけなければならない
永遠に生きている主がその信仰を守られる
○ 神の力の前では問題の大小はない
神の本体である天には永遠な力がある
信仰を得たというのは力を得たということである
※ 悪霊を恐れてはいけない
患難を恐れてはいけない
自分の霊、魂、体を主に預けなければならない

2021. 06. 06. あなたの信仰があなたを救う (マルコの福音書5:21~34)

あなたの信仰があなたを救う
(マルコの福音書5:21~34)

神は
天におられる父である
その方が
この世にすばらしい救いを与えられた(へブル2:3)
神の御名を信じる者に永遠のいのちを与えられた(使4:12)
神の御名である「イエス」が私たちの信仰である(ヨハネ20:31)
神の御心が私たちの信仰である(ヨハネ6:33~40)
神の御言葉が私たちの信仰である(へブル11:3)
インマヌエルでおられる方が私たちの信仰である(マタイ1:21~23)
神から与えられた権勢、力が私たちの信仰である(マタイ10:1)
私たちに与えられた信仰はどのようなものであろうか?
私たちは神の御子がなさった働きをする(ヨハネ14:12)
この世に公開されていない、それよりも大きな働きをする
それゆえ、信じる者には不可能なことがない(マルコ9:23)
神から与えられた信仰を用いて、(マルコ5:34)
自由を得なければならない(ヨハネ8:36)
イエスは御言葉によって病気を癒された(マタイ8:16)
御言葉によって悪霊を追い出された
手を置いて病気を癒された(マルコ5:41)
イエスの体に触った者も癒しを受けた(マルコ5:27~28)
神の国は言葉にだけあるのではなく、
力にある(Ⅰコリント4:20)
○ 聖霊を私たちの心に与えてくださったのは
神の働きを現させるためである
○ イエスは御言葉を伝える働き、
病気を癒す働き、悪霊を追い出す働きを並行してなさった
キリスト教会は実状である
○ 力をもたないで道徳や倫理だけをもつのは宗教である
宗教は徳を積むが、永遠のいのちの力をもたない
誇るものをもたない
※ 私たちの信仰は実状である
現実的にいつでもどこでもその力を受けることができる
私たちの信仰は誰が何と言っても、力である