2022. 03. 06. イエスは何も答えられなかった (マルコの福音書15:1~15)
イエスは何も答えられなかった
(マルコの福音書15:1~15)
神は
自存者でおられる
その方の
義は永遠である(Ⅰヨハネ2:1)
天下にその方を判断することができる者は誰もいない
しかし、人間は神を恨んで判断する
それゆえ、
神の御前では義人がいないし、聖なる者もいない
イエスが義人であり、判断する方でおられる(ローマ11:33)
判断する主を、この世が判断する
長老や祭司長は宗教的に判断したし、(マタイ27:22~23)
ローマやピラトは道徳的に判断した
宗教人は主を金で買って罪に定めたし、
道徳的な者は群集心理を利用して罪に定めた(マルコ15:15)
これに対して
イエスは何も答えられなかったが、これはすでに判断されたのである(詩94:2)
この世では義人が裁きを受ける
イエスを十字架につけたのは
十字架が呪いの木であり、忘れさせる道具であったためである
それによって
イエスを永遠に忘れさせようとしたのである
○ 主を罪に定め、十字架によって永遠に忘れさせようとしたが、
神がその方を生かして思い出させた
聖霊はその方を証しされる
○ イエスの人はイエスの血によっていのちを得たが、
聖霊による証しを受けなければ、証人になることはできない
何も答えられなかった主のために私たちが口を開かなければならない
○ 主イエスを認める者が救いを得る
それゆえ、その名によってバプテスマを受ける
バプテスマを受ける者はイエスと結びつき、義とされる
※ 主は自分の弁明を聖徒に預けられた
この世で虐待を受ける義を誰が弁護するのか
その方の義を受け、その方の証人とならなければならない