2022. 05. 15. 信仰は証しである (ヨハネの福音書2:23~25)

信仰は証しである
(ヨハネの福音書2:23~25)

神は
生きておられる
その方が
この世に御言葉を与えられたのは信仰を与えるためであった(へブル11:1~3)
信仰は人の信念ではなく、はっきりとした証しである(Ⅱコリント13:5)
イエスが現されたしるしによって、その名が広まった
その名を知る者は多かった(マルコ1:28)
しかし、
救いに至る信仰は
うわさによってはもつことができない
その名を信じて迎え入れた者だけが救いを得る(ヨハネ1:12)
信仰の証しとは
イエスを自分の主人として迎え入れることである(ヨハネ6:68)
しかし、
イエスには自分を預ける者がいなかった
人々には自分を迎え入れる信仰がないということを主は知っておられた(へブル11:6)
信仰がない者が「主よ、主よ」というのは(マタイ6:5)
迷信を信じる者が唱える呪文のようなものである(マタイ6:7)
信仰がない者は主を喜ばせることができない
ただイエスの名にひざまずいて従わなければならない(ピリピ2:10~11)
このような人に証しがある
神は印を押して、保証として
聖霊を心に与えられた(Ⅱコリント1:20~22)
○ 聖霊は私たちが
神の子であるということを証しされる
○ 神が求められる証しは信仰告白である
信仰告白がない者からは何の証しも受けられない
○ イエスの名をうわさによって聞いて知るのではなく、
完全に心を開いて迎え入れなさい
自分の心に主がおられるということを試して確証しなさい
※ 神がこの世に御言葉を与えられたのは
御言葉に従って自分の信仰を確証させるためであった
キリストが自分の主人でおられるということを証ししなければならない