2022. 09. 18. イエスとシロアム (ヨハネの福音書9:1~12)
イエスとシロアム
(ヨハネの福音書9章1~12節)
神は
光の父でおられる
その方が
この世に光を遣わされたが、御子でおられる(ヨハネ9:5)
神の光は御言葉であり、まことである(ヨハネ8:12)
御言葉が肉体となってこの世に来られた
その方がイエス・キリストでおられる(ヨハネ1:14)
その方は父のひとり子としての栄光であり、
恵みと真理に満ちておられる(ヨハネ1:14)
イエスという光がこの世に現れたというのは(ヨハネ9:5、11:9)
真昼の太陽がこの世に輝いたということである
それゆえ、
誰でもその光にとどまる者はつまずくことがない(ヨハネ16:1~3)
人類は罪の下にいるために、太陽を見たとしても盲人である
恵みと真理の栄光を見ることができない(黙3:17~18)
しかし、信仰によってだけ霊的な目を開くことができる(ルカ24:44~48)
信仰は
イエスが救いを与える方でおられるということを信じるものである
信仰の霊の眼を開いた者は肉の眼も開くことができる
霊魂が幸いを得ているように、すべての点で幸いを得て、健康を得る(Ⅲヨハネ1:2)
イエスは地面につばを吐いて泥を作り、盲目に生まれついた者の目に塗りつけ、
「シロアムの池で洗いなさい」といわれた(ヨハネ9:6~7)
○ シロアムは「遣わされた者」という意味であった
イエスに従ってそこに遣わされた者は生きるという証しを受ける
○ イエスは癒しの光であり、万病の医者でおられる
その方が吐いたつばも捨てるところがないいのちであり、力である
イエスは御言葉が肉体となって現れた救い主でおられる
○ この世はその方を信じようとしない
それは自ら滅びを選ぶということである
信仰がないために、霊魂を救うことができないし、永遠のいのちを得ることができない
※ 罪人は天の働きをすることができない
神だけが天の働きをなさるし、
神に属する者だけが天の力を体験する