2023. 06. 25. 教会を選ばれる (エペソ人への手紙1:3~6)

教会を選ばれる
(エペソ人への手紙1章3~6節)

私たちは信仰の生涯の奮闘を終えて勝利し、
無事に天の御国に入って行くことができるであろうか?
人生はそれ自体が決してやさしくない旅路である
また、堕落した人性は
聖くてしっかりとした信仰を維持することにおいて
何の役にも立たないだけではなく、
絶えず挑みや危機をもたらす
私たちはそれぞれ孤独に走って行かなければならないのであろうか?
そうでなければ、私たちの生涯の近くにおられる、
神の助けと導きを受けて走って行くのであろうか?
私たちの救いの旅路は主イエスの教会とともに
作っていくものであろうか?
そうでなければ、聖徒それぞれの力や力量に頼って
作っていかなければならない、個人的な課題であろうか?
私たちはキリストの中で生まれ変わったが、
それによって栄光や喜びに満ちている永久的な未来が
保障されているのであろうか?
本文の御言葉は
これらの質問に答えをもたらす、
霊的な洞察力を与える
天地を造られた神の
永遠で絶対的で無限な計画の中に
私たちを案内する

2023. 06. 18. 聖霊に逆らってはいけない (マタイの福音書12:31~37)

聖霊に逆らってはいけない
(マタイの福音書12章31~37節)

神は
全能でおられる
その方が
なさることに逆らうことができる者はいない(ルカ1:37)
万有と万物はその方によって造られた被造物である
その方が「あれ」といえば、あるようになるし、
その方が「なくなれ」といえば、なくなる(へブル1:2~4)
私たちは驚くべき真理を悟った
目に見えない神から(ヨハネ1:18)
耳で聞いた(ヨハネ1:17)
その方が目に見えるかたちをもって現れた(Ⅱコリント4:4)
そして、天に上って、
信じる者に聖霊を注がれた(使2:32~33)
聖霊は助け主であり、私たちの救い主でおられる(ヨハネ14:15~17)
人々は目に見えないといって、神を否定した(ヨハネ1:45~46)
その御言葉を聞いたとしても疑った
人の子として来られたとしても排斥して殺した(ヨハネ8:48)
その方が
聖霊によって再び私たちに来られたが、(Ⅰヨハネ4:13)
聖霊に逆らえば、最後である(へブル6:1~8)
罪の贖いのためのいけにえも悔い改めの機会も残されていない(へブル10:26~31)
以前の罪はすべて赦しを受けたとしても、
聖霊に逆らう罪はこの世でも次に来る世でも赦しを受けることができない
◎ 聖霊に逆らってはいけない、信仰をもって従わなければならない
聖霊は最後の恵みであり、真理でおられる
◎ 聖霊に逆らってはいけない
聖霊の働きは私たちを復活に導く
◎ 律法が定めた罪は
十字架で贖いを受けたが、
聖霊に逆らう罪にはそれを贖ういけにえがない
※ 聖霊はそれぞれの心に入って来ておられる
遠くにおられるのではなく、私たちの中におられる
私たちの霊魂を悪魔と罪から救われる

2023. 06. 11. 憐れみを施すための安息日 (マタイの福音書12:1~8)

憐れみを施すための安息日
(マタイの福音書12章1~8節)

神は
父でおられる
その方が
この世に御子を遣わされた
御子はこの世の主人でおられる(へブル1:2~4)
その主人を見つけるのがいのちである
切実なる神の御心は
それぞれ自分の主人を見つけなさいというものである(ヨハネ10:11)
不信仰の主人は悪魔である(ヨハネ8:44)
まことの信仰の主人は万有と万物の主人である、(ヨハネ10:29)
イエス・キリストでおられる
それゆえ、イエスを主と告白する(Ⅰコリント12:3)
しかし、
人々は律法と儀式の奴隷となって、(Ⅰコリント15:56)
主よりも敬虔さに執着する(マタイ23:13)
それゆえ、
信仰があるように見えるが、
主人をもたない
教会を愛するように見えるが、
主人に逆らっている(マタイ23:16~21)
聖霊は私たちの主人でおられる
◎ 体をもって礼拝に参加するが、主人をもたない
主人をもつのであれば、体、心、霊魂が
主人に集中する
◎ 献金をささげて献身しているが、主人をもたない
主人をもつのであれば、
主人に従うし、感謝をささげる
◎ 教会の中で職分をもって忙しく働くが、
主人に従わないで、
自分の感情や喜びをもって働く
※ 私たちはただ主人を喜ばせる者である
命を差し出したとしても、主人を喜ばせる
肉体的に損をしたとしても、主人を喜ばせる

2023. 06. 04. 神は謙遜な者にだけ自分を現される (マタイの福音書11:25~30)

神は謙遜な者にだけ自分を現される
(マタイの福音書11章25~30節)

神は
いのちの父でおられる
その方が
いのちを与えるために御言葉を遣わされた(ヨハネ1:14)
御言葉は肉体となって血を流した(へブル9:22)
その方はまず預言者を遣わして予め語られた(マラキ3:1)
そして、語られた通りに、
人の子としてこの世に現れた(ヨハネ1:18)
その方は自分のいのちを、
罪によって死んだ私たちに飲ませた
そして、3日後によみがえって天に行き、(使2:32)
父に求めて、助け主の聖霊を遣わされた(ヨハネ16:7~14)
神は御言葉によって、
御子によって、
聖霊によって私たちの霊魂の戸の前まで来られた
その方の前に出て行く者だけが救いを得る(ヨハネ3:3~8)
その方が私たちの心まで来られたが、次は私たちの霊魂が
バプテスマを受けてその方に出て行かなければならない(マタイ28:19~20)
バプテスマは徹底的に古い人を悔い改めた者が受ける、(使2:38~39)
救いのしるしである(Ⅰペテロ3:21)
聖霊がこれを保証される(Ⅰヨハネ4:12~15)
◎ 神に向かって激しく攻めなければならない
攻める者だけが天に入って行く
徹底的に悔い改め、この世と決別し、その方に行く
◎ イエスは罪人を招くために来られた
罪人は律法の下で死んだ者である
イエスは死んだ者を生かすために来られた
◎ イエスの人は完全に変えられた者である
私たちは肉体の命を頼らないで、復活を信じる
主イエスの賜物はとても大きいし、栄光に満ちている
※ イエスの人になろう
私たちの体につけられたキリストの痕跡がバプテスマである
自分の霊魂のために力を尽くさなければならない