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2022. 11. 20. 自分のものを愛された主の愛 (ヨハネの福音書13:1~2)

自分のものを愛された主の愛 (ヨハネの福音書13章1~2節) 神は 愛でおられる その方が ひとり子を愛するように、人類を愛される その愛は変わることがない、まことの愛である(Ⅰヨハネ4:8) 神の御言葉は愛であるために、変わることがない(ダニエル6:26) 神の御名も愛であるために、変わることがない(ローマ8:35) 神の恵みも愛であるために、変わることがない(ルカ4:19) 神は永遠に変わることがない真理でおられる(へブル6:18) その愛によって私たちの霊魂を義とするという 恵みの宣言は永遠に変わることがない このように 神は最後まで愛されるが、(ヨハネ13:1) 悪魔から惑わしを受ければ、 神の愛がとどまるところはなくなるし、 主の弟子であっても滅びるしかない(ヨハネ6:70~71) 悪魔が与える考えは私たちを主と切り離し、自分の道に行かせ、 結局、自殺に追い込む(マタイ27:3~5) それゆえ、聖徒であっても試みに遭うのは 自殺するようなものである(ローマ5:12) 聖霊は私たちの霊魂を守られる ○ イエスとともにいるという者であっても 悪魔から惑わしを受けて、死ぬ 堕落して、真理を信じることができなくなる ○ 主の愛を受ける者であっても 悪魔が与える考えを入れられれば、 結局、自分の義を立てて自殺する ○ 聖霊を排除して自ら生きようとしてはいけない 神から与えられた恵みを無視すれば、 自分の霊魂を救うことができない ※ 神の御言葉は真理である 聖霊は真理でおられるし、イエスは真理でおられる 真理によって悪魔に敵対しよう

2022. 11. 13. イエスの御言葉が終わりの日に裁く (ヨハネの福音書12:44~50)

イエスの御言葉が終わりの日に裁く (ヨハネの福音書12章44~50節) 神は 霊でおられる その方を見た者はいない 御子だけがその方を見た 御子は 神の本体でおられる(ピリピ2:6) その方は天の光としてこの世に来られた(ヨハネ12:46) 光はいのちである(ヨハネ1:4) いのちは御言葉である(ヨハネ6:63) その方が来られたのはこの世を救うためであった(ヨハネ12:47) イエスの御言葉を聞きながらも守らない者を裁くのは その方ではなく、 その方が語られた御言葉である(ヨハネ12:48) その御言葉はイエスが自ら語られたものではなく、 父なる神が語られたものである(ヨハネ12:49) イエスの御言葉、働き、力、体は 神の御言葉である(ヨハネ14:10~11) それゆえ、イエスを拒むことはできない これはいのちを拒むということ、 神と永遠のいのちを拒むということである(ヨハネ8:47) 神の命令が永遠のいのちである(ヨハネ12:50) ○ 御言葉に逆らう者は罪に定められる 聖霊が証しする御言葉は真理、すなわち イエス・キリストである ○ イエス・キリストを信じるというのは その方を遣わした神を信じるということである 神を信じるのが永遠のいのちである ○ 御言葉は私たちの目の前にあるし、さらに近くにある 御言葉を信じて従うというのは神を信じるということである それによって永遠のいのちを得る ※ 御言葉を信じれば、真理が見える 真理が見えれば、聖霊が見えるし、聖霊が見えれば、イエス・キリストが見える その方はよみがえりであり、いのちでおられる

2022. 11. 06. 信仰を現しなさい (ヨハネの福音書12:37~43)

信仰を現しなさい (ヨハネの福音書12章37~43節) 神は 聖なる霊でおられる その方が 人間が見ることができない自分を(ヨハネ1:18) 見せるために、天の天使よりも劣った人として この世に現れた(ヨハネ1:49~50) みすぼらしい大工の家に生まれ、 名も知られていないナザレで育ち、(ヨハネ1:46) 人の弱さと病気を知る体をもち、(イザヤ53:1~3) むち打たれ、十字架の呪いを味わわれた どのような恥ずかしさも気に留められなかった(Ⅰペテロ2:24) そして、 自分の血と肉を裂いて与えられたが、 これが私たちに施された恵みであった(Ⅰコリント23~26) その方は天の光として来られたが、この世は霊の眼が遠くて、| その方を見ることができなかった(ヨハネ8:42~44) その方は最善を尽くして、神の力をもって人に仕えた(マルコ1:38~39) しかし、 このような大きな恵みを受けたとしても、 その恵みを現さないで隠す これは栄光を神に帰そうとしない不従順である(ヨハネ12:42~43) ○ 自分が信じるものを現せば、迫害を受けるのではないか 自分が恵みを受けたということを語れば、罪に定められるのではないか 自分が救いを受けたということを語れば、殺されるのではないか ○ 神は高い所から低いこの地に来られた どうしてこれを万民の前で証しすることができないのか? 神に背を向ける者について語られた預言が成就する ○ イエスの名によってバプテスマを受けたのであれば、イエスとひとつである 主が死ねば、ともに死ぬし、主が生きれば、ともに生きる これが救いを得る信仰であり、永遠のいのちである| ※ イエスを恥ずかしく考えてはいけない イエスのために死ぬことを恐れてはいけない 自分の中におられる方を証しして現そう  

2022. 10. 30. 光の子になろう (ヨハネの福音書12:31~36)

光の子になろう (ヨハネの福音書12章31~36節) 神は 栄光の中におられる その方が 天で罪を犯した天使を裁きの時まで(Ⅱペテロ2:4) 暗やみに閉じ込められたが、その天使を竜とも、蛇とも、 悪魔とも、サタンとも呼ぶ(黙12:9) その天使は天に居場所がなくなり、この地に追い出されてきた この地は暗やみの中にあるし、悪魔は暗やみの権勢をもって抑圧する そこでは罪が支配し、(ローマ5:21) 死が支配する(ローマ5:17) 霊魂は死を恐れ、生涯、死に縛られ、(へブル2:15) 暗やみの権勢に従い、不従順の子の中に働いている支配者に従っていた(エペソ2:2) ついに時が来て、(ヨハネ12:31) 神の御子が悪魔の働きを滅ぼすために来られた(Ⅰヨハネ3:8) それゆえ、この世を抑圧していたこの世の支配者は裁きを受けて、 底知れぬ所に落とされた(ヨハネ16:11) この世の霊魂に光として来た方が(ヨハネ8:12) 私たちの心の中に入って来られたために、私たちは光の子となった 光の子は光の中で行い、光を輝かせる(マタイ4:16) 神は栄光を受けて喜ばれる(Ⅰテモテ6:16) 聖霊に満たされるというのは光をさらに輝かせるということである(ヤコブ1:17~18) ○ 私たちがキリスト者であることを誇るのは 神から来る光を受けたためである 光を誇るというのは自分の中におられる方を現すということである ○ 神の光の中にいれば、つまずくことがない 自分の霊魂を聖くして、主の日、すなわち イエス・キリストが降臨されるときに栄光を受ける ○ 光は兄弟を愛することによって現れる イエスの戒めに従って愛せば、光である 光の子のように行動して従わなければならない ※ 私は光の子である 光は私の中にある真理である 光を輝かせよう、光を輝かせよう、アーメン

2022. 10. 16. イエスはよみがえりであり、いのちでおられる (ヨハネの福音書11:17~30)

イエスはよみがえりであり、いのちでおられる (ヨハネの福音書11章17~30節) 神は 永遠に生きておられる その方が 御子をこの世に遣わされたのは信じる者が救いを受けて 神のように生きるようにするためであり、永遠のいのちを与えるためであった(ヨハネ3:16) それゆえ、 御子はいのちであり、よみがえりでおられる(ヨハネ11:25~26) 私たちの信仰は信念ではなく、 イエスを誰だと信じるのかというものである(マタイ16:15) イエスをよみがえり、いのちと信じるのが答えである もちろん復活は最後の時になされる(黙20:6) しかし、 イエスの名の権勢は天においても、地においても、 地の下においても通用する(ピリピ2:10~11) イエス・キリストは昨日も今日も永遠に 同じでおられる(へブル13:8) 死んだ肉体が生き返るのは今の世でも十分に起こることであるし、 イエス・キリストの賜物である(マタイ10:7~8) イエス・キリストの神癒は今の世で受ける賜物である 天国は激しく攻める者が奪い取る(マタイ11:12) 天国を攻めるように、力によって癒しを受けることを求め、 力を尽くして、主の御言葉と力の中に入って行かなければならない 主は人の霊魂、骨髄、墓まで探して、 入って行かれる(ヨハネ11:39~44) ○ 第一に、主を信じなければならない そのようにしてこそ、癒しを受ける ○ 第二に、御言葉を信じなければならない 主の御言葉はいのちであり、生かす霊である ○ 第三に、信じて従ってこそ、しるしが現れる イエス・キリストのしるしは証しである ※ 静かな宗教人がもつ徳望に陥らないで、 はね回る子牛のように活動し、 信じることを口で認め、主に栄光を帰そう

2022. 10. 09. イエスと父はひとつでおられる (ヨハネの福音書10:22~39)

イエスと父はひとつでおられる (ヨハネの福音書10章22~39節) 神は 栄光を受けられる その方は 御子によって栄光を受けられる 自分を神という者は自分の栄光を 求める(詩29:1~2) 神から遣わされて神の働きをするという者は 自分の栄光を求めないで、 自分を遣わした父の栄光だけを現す(ヨハネ7:16~17) 「私はあるという者である」という「エホバ」は自分の栄光を求めるが、 イエスは父から遣わされて来て、父の働きをしながら、 栄光を父に帰す それゆえ、 イエスは「私と父はひとつである」 といわれた(ヨハネ10:30) その方は自分を神の御子といい、父とひとつであるといわれた 聖霊は遣わされて来て、(ヨハネ16:7~8) イエスを証しされる(ヨハネ15:26) それゆえ、イエスとその方はひとつでおられる(ヨハネ16:13~14) イエスは「私が父に願い求めて、 聖霊をあなたがたに遣わす」といわれた(ヨハネ14:16) それゆえ、御子と父と聖霊はひとつでおられる ○ 三位がひとりでおられるということを信じるのが私たちの信仰である これは人が作った教理ではなく、聖書に記録されたことである ○ イエスは教訓やしるしをもって 父なる神の働きを現された そして、「これは父の働きである」と強調された ○ 私たちは父と御子と聖霊の証しがひとつであるということを信じるし、 これについての証人となる 自分が伝えることがどのような意味であるのかをはっきりと知らなければならない ※ 聖霊に満たされて従うのは イエスを信じることである これは神に栄光をささげることであるし、信仰である

2022. 10. 02. 羊の門に入って行きなさい (ヨハネの福音書10:7~18)

羊の門に入って行きなさい (ヨハネの福音書10章7~18節) 神は まことの愛でおられる その方が 人類を愛して、罪から救うために天の門を開かれた(ヨハネ10:2) 救いはその門に入って行くことである イエス・キリストは門であり、羊の門である(ヨハネ10:7) イエスが自分を羊の門といわれたのは イエスによってだけが入って行くことができる道がその門にあるためであった イエスは十字架で苦難を受けることによって(ヨハネ3:14~16) 復活に至られた(ヨハネ11:25) イエスの功労が羊の門である(ルカ12:50) イエス・キリストが十字架で死んで よみがえられた、その功労が天国の門である イエスが天から遣わされた、 助け主の聖霊も(ヨハネ14:16) イエスの復活と十字架の血によって 私たちの心に入って来られた(使2:38) 私たちもその功労を受けて門に入って行き、 牧草を食べ、水を飲む(ヨハネ7:38~39) 羊の門をなすために その方が受けられた苦難はどんなに大きかったであろうか(マタイ16:21~23) ○ 羊の門はバプテスマである バプテスマは天国の門であるし、ただその門を通ってこそ天国に入って行く イエスの功労はバプテスマである ○ イエスはこの門を通るために(ルカ12:50) バプテスマを受けられたが、それは死と復活であった 天国の門は羊の門だけである ○ イエスの人はこの門を通って 神の国に入って行く それはバプテスマを受けることであり、主の功労を着ることである ※ イエスの功労は 神の義に従われたことである 私たちはその功労を恵みとして受けた

2022. 09. 25. 神の御子を信じなさい (ヨハネの福音書9:24~41)

神の御子を信じなさい (ヨハネの福音書9章24~41節) 神は 全能でおられる その方が 御言葉を語れば、万物が服従し、 死んだ者が生き返る(ヨハネ11:43~44) その方が救いを宣言すれば、従う者は救いを受けるし、(マタイ9:5~6) 逆らう者は救いを受けることができない(マタイ10:33) イエスは御言葉によって悪霊を追い出し、(マタイ8:16) 病人を癒された(マルコ1:40~42) 創世以来、なかったことが御言葉に従うことによって起こった 盲人も目を開いた(ヨハネ9:32) しかし、 この世は人の子を信じようとしない 罪の下にとどまり、(ヨハネ9:41) 神の働きの証人となることを憎む(ヨハネ9:22~24) イエスの弟子はイエスを信じて救いを得る モーセの弟子はモーセを信じるが、救いを受けることができない(ヨハネ9:28) 信仰をもつ者は救いを得る 救いを得た者には証しがある(Ⅱコリント13:5) 神は証しする者を守られる どのような迫害があったとしても、証しはとどまることがない(黙12:11) イエスも証しする者について証しされる ○ 神が遣わされた御子を信じなさい 信じて救いを受けた者は御子を証しする ○ 宗教から追放されたとしても、証人となりなさい 主がこの世を裁くときが来る そのとき、イエスを認める者は救いを受ける ○ イエスを否認する者は罪に定められる 救う者を知ることができなければ、盲人である つまずいて裁きを受ける ※ イエスを信じなさい、そして、証ししなさい 命を惜しまないで、イエスを証ししなさい それによってこの世に勝利する

2022. 09. 18. イエスとシロアム (ヨハネの福音書9:1~12)

イエスとシロアム (ヨハネの福音書9章1~12節) 神は 光の父でおられる その方が この世に光を遣わされたが、御子でおられる(ヨハネ9:5) 神の光は御言葉であり、まことである(ヨハネ8:12) 御言葉が肉体となってこの世に来られた その方がイエス・キリストでおられる(ヨハネ1:14) その方は父のひとり子としての栄光であり、 恵みと真理に満ちておられる(ヨハネ1:14) イエスという光がこの世に現れたというのは(ヨハネ9:5、11:9) 真昼の太陽がこの世に輝いたということである それゆえ、 誰でもその光にとどまる者はつまずくことがない(ヨハネ16:1~3) 人類は罪の下にいるために、太陽を見たとしても盲人である 恵みと真理の栄光を見ることができない(黙3:17~18) しかし、信仰によってだけ霊的な目を開くことができる(ルカ24:44~48) 信仰は イエスが救いを与える方でおられるということを信じるものである 信仰の霊の眼を開いた者は肉の眼も開くことができる 霊魂が幸いを得ているように、すべての点で幸いを得て、健康を得る(Ⅲヨハネ1:2) イエスは地面につばを吐いて泥を作り、盲目に生まれついた者の目に塗りつけ、 「シロアムの池で洗いなさい」といわれた(ヨハネ9:6~7) ○ シロアムは「遣わされた者」という意味であった イエスに従ってそこに遣わされた者は生きるという証しを受ける ○ イエスは癒しの光であり、万病の医者でおられる その方が吐いたつばも捨てるところがないいのちであり、力である イエスは御言葉が肉体となって現れた救い主でおられる ○ この世はその方を信じようとしない それは自ら滅びを選ぶということである 信仰がないために、霊魂を救うことができないし、永遠のいのちを得ることができない ※ 罪人は天の働きをすることができない 神だけが天の働きをなさるし、 神に属する者だけが天の力を体験する

2022. 09. 11. 真理を信じなさい (ヨハネの福音書8:40~50)

真理を信じなさい (ヨハネの福音書8章40~50節) 神は まことでおられる その方は 自分がまことであることを真理によって現された(ヨハネ14:6) 神の御言葉は真理である(ヨハネ8:32) 真理は偽ることがなく、いのちであり、常に生きている(ヨハネ6:68) 義と不義を裁く(詩9:7~8) 神の御子がこの世に現れたのは この世を裁くためであった(ヨハネ5:22~23) その方は人の子となった義人でおられる この世には義人がひとりもいない(ローマ3:10) イエスだけが義人でおられる(ヨハネ16:10) それゆえ、 イエスは真理だけを語られる(ヨハネ8:45~46) この世は真理を悟ることができない この世には真理がない 偽りだけがあるが、これは悪魔の性格である(ヨハネ8:44) 悪魔は初めから偽り者であり、偽りの父である 神に属する者はまことの言葉を語る(ヨハネ8:47) この世に属する者はこの世に属する言葉を語るし、 悪魔の子である それゆえ、真理を無視して殺そうとする ○ 聖霊は真理の霊でおられるし、 イエスを証しされる 聖霊の証しを受ける方が真理でおられる ○ イエスはアブラハムの子孫でおられるし、 ユダヤ人もアブラハムの子孫である しかし、イエスは天から来られたし、ユダヤ人は地から出て来た ○ 天から来た者はまことの言葉を語る 地から出て来た者は偽りを言うが、これは父である悪魔の属性である 霊魂を愛する者はまことの言葉を信じる ※ まことの言葉を信じる者が霊に属する者である 肉に属する者は肉に属する言葉を語るが、それは死である 霊に属する者は霊に属する言葉を語るが、それは永遠のいのちである