1988. 02. 28. 聖霊を冒瀆してはいけない(マタイ12:22-37)

聖霊を冒涜してはいけない
(マタイ12:22-37)

神の御霊は
永遠前から聖なる霊でおられる
誰が敢えてその方を冒涜するであろうか
それゆえ、  
その方の神殿をこわす者は
神が彼を滅ぼされる(Ⅰコリント3:17)
その方がなさることをそしり、冒涜する者は
この世であろうと次に来る世であろうと、赦されない(マタイ12:31-33)
聖霊は
ただ愛と尊敬を受けられる方であり、
永遠に仕えられる方である(ヨハネ14:16)
それゆえ、
聖霊をことばで逆らってもいけない
聖霊は神の御国がこの地で成し遂げられるために
降臨した神の御霊であり、(使徒10:38)
すべての神の力としるしは聖霊が現わされる(マタイ12:28)
バプテスマのヨハネは神の御国を迎える準備をしなさい、
悔い改めなさいといい、(マタイ3:2)
イエスもそう言われた(マタイ4:17)
神の御国は聖霊とともに臨まれる(マタイ3:11-12)
その方の御国が臨まれば、
この世を支配する者は裁かれ、(ヨハネ16:11)
追い出される(ヨハネ12:31)
○聖霊がなさることに感謝し、参加しなさい
   第一は悔い改めであり、その次は従順である(イザヤ37:4)
○聖霊の力を疑わず慕い求めなさい
   それぞれ力を受け、主の働きをしなさい(使徒1:8)
○新約教会は聖霊のことばを聞く教会であり、(黙示2:7)
   福音は聖霊によって伝えられる御言葉であり(使徒1:2)
   聖徒は聖霊に従順する者である(使徒5:32)
※聖霊の前でただ謙遜することだけが信仰であり、
   従順することだけが力である
   聖霊を冒涜してはいけない

1988. 02. 07. 聖なる所におられる聖霊(コリント第一3:16-17)

聖なるところにおられる聖霊 
(Ⅰコリント3:16-17)

神の御霊は
聖なるところにおられる(ヨシュア24:19)
聖なるところは神殿であり、
その神殿におられる方が聖霊でおられる(詩68:5)
モーセが建てた荒野の幕屋や
ソロモンが建てたエルサレムの神殿は
天にあるものの模型であり、影である(へブル8:5)
それゆえ、
神は人の手で建てたところにおられず、
人の手で建てないまことのところ
主が直接建てられた神殿におられる(へブル9:24)
教会はイエスのからだであり、聖徒はその方の肢体として
聖徒のからだは聖なる御霊の殿である至聖所になる(Ⅰコリント3:16-17)
天で父によって
神のみこころが成し遂げられたように(エペソ1:17)
地では御子によって
神のみこころが成し遂げられ、(マタイ6:10)
教会では聖霊によって
神のみこころが成し遂げられなければならない(箴19:21、民12:5)
神のみこころは聖くなることである(Ⅰテサロニケ4:3)
神の御国はことばにはなく、力にある(Ⅰコリント4:20)
聖霊は力で神の御国を現される(マタイ12:28) 
○聖徒だけが神の力を受けることができる
   聖徒は聖霊を受けて聖霊に導かれる者である
○力のない信仰は世のものであり、宗教である
   神の御国は耳で聞いても
   聖霊なしには体験することができない
○神の御国を見ることができても、
   聖霊によってだけその方の力を現すことができる
※自分を聖くして神殿となりなさい(Ⅰペテロ1:15)
   それで聖霊が働かれるように、
   その方の力を現されるようにしよう
   聖霊は昨日も今日も変わらない全能者でおられる