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イエスが設立された教会
(使徒の働き2:1~13)

神は
生きている造物主でおられる
その方が
御子をこの世に遣わされたのは
その御心をなすためであった(ヨハネ6:38~39)
神の御心は
天で御子を高めるということであるし、(使徒2:33)
この地で御子とともにした人間に
神の子となる権勢を与え、
神の相続人とならせるということである(ローマ8:14~17)
このために
イエスがこの地ですべてなされたことと
聖霊によって完成されることを教えられたが、
これを福音という(マタイ6:10)
福音を信じて従う者に栄光を受けさせた
イエス・キリストの教会は
イエスの御言葉に従って、(使徒5:32)
イエスの御心通りに聖霊に満たされた者である
五旬節のマルコの家の大広間の現象は(使徒2:1~4)
イエスの教会の模範であり、
神が啓示された霊的な教会である
○イエスの教会は建物ではなく、
聖霊に満たされた聖徒である
血によって罪の赦しを受けた者である
○イエスの教会は宗教ではない
聖三位一体の実状を見せた
永遠な復活を、力とする
○イエスの教会はこの世の秩序とは異なる
それゆえ、理解することができないし、誤解もある
それゆえ、信仰によってだけ受け入れることができる
※イエス・キリストは昨日も今日も同じである
イエスの教会は初代教会も現在の教会も
同じであるし、変わることがない

Semuon’s Letter

【牧師コーナー(松竹岩ソンチュグァム)】 2017. 1. 29.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東キムキドン牧師

私の体にイエス・キリストの力としるしが現れたときに、主が私を遣わされた。どこにでも私を遣わされた。そこには病気にかかった者、神を知らない罪人、無知によって自分の人生を脅迫する者がいた。私はそこでただ「イエス・キリストは生きておられるし、今日、私のような小さな者にまで働かれる。」と伝えた。神が与えてくださった聖霊によって祈り、切に求めて病人を癒し、悪霊につかれた者が救いを受ける働きを現した。そして、その力によってさらに熱心に証しした。私にそのような力があることを知って、さまざまなところにある教会が私を招待した。
一週間も力を現さないときがなかった。聖霊の働きがとても大きく現れた。木が病むのであれば、葉も枝も枯れてしまうが、木が生きているのであれば、葉も枝も完全であり、実を結ぶ。そのように私の体に常にイエス・キリストの力としるしが従わなければならないということを生涯の使命と考えて生きてきた。今は気力が衰え、声さえも出て来ないが、続けて働きたいし、書きたいし、働きを現したい。
私の体からしるしが現れないというのは私が死んだということである。しかし、私は死んでいない。私の体にこのような力がさらに満ちあふれることを願ってやまない。祈りが常に主に届かなければならないし、主が私の手を常につかんでくださらなければならない。それで、私は祈る。私が聖徒に願いたいのはさらに大きな働きが現れるように私のために祈ってほしいということである。私たちの教会は創立されたときから、しるしと力、聖霊の賜物に満たされてきた。そのときの霊感が続くことを願う。祈らないのであれば、どんなしるしも力も存在することができない。
私は死ぬほど霊魂を愛し、主に従いながら殉教者としての使命を守る。使命がない者は牧会をしたとしても、生活をするために牧会をするだけであるし、自分の体のために弁明をするだけである。しかし、そのようにしては一日も息をすることができない。私は主のためにこの世に生まれた者である。主のために生きるし、主のために死ぬ。それゆえ、罪過が多かったとしても主の尊い血の力に預けて、体には常にイエス・キリストの力が現れなければならない。ただそのような渇きと使命感に満ちている。
わが霊魂よ、沈黙してはいけない。肉体が腐ったとしても青い葉を咲かせ、実を結ぼう。力がない信者ではなく、主の働き手として常に力ある生涯を送ろう。わが霊魂よ、幸せになろう。イエス・キリストを常に現そう。

翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室

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