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自分の十字架
(マタイの福音書16:21~28)

神は
完全無欠でおられる
その方が
十字架につけられたときに、この世は嘲弄したが、
十字架は信じる者にとって力となった(Ⅰコリント1:18)
子を産む労苦なしには子を見ることができないように、(創3:16)
神も子を産む労苦を超越しないで、
愛する聖徒にも
「自分の十字架を負って従いなさい」と命じられた
十字架は呪いの木であり、恥ずかしさの極致である(ガラテヤ3:13)
これは
イエスの教会が経験しなければならない義務である(マタイ16:24)
십十字架での死なしには復活もない
私たちは
イエス・キリストによって復活の栄光を見る
これが私たちの望みであり、信仰の目標である(ピリピ3:14)
十字架の労苦は肉体の痛みよりも大きな
心の痛みである
肉体が受けるこの世の栄光はすべてちりあくたのようなものである
ただ霊魂だけ生きて勝利する(ピリピ3:8)
聖霊がこれを必ずなされる(ローマ8:11)
○イエスがつけられた十字架を見ているのか
これは
その方が父のところに行かれる道であった
○十字架の苦しみを見なさい
これは主イエスが父のところに行かれる、
聖なる道であった
○私たちはそれぞれ十字架を負って、
その道を通ってその門に入って行こう
主がその道とその門で歓迎される
※還言するベレア運動の道は平坦ではない
妊娠する苦しみと子を産む労苦を経て
成功し、勝利しなければならない

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