主の御前で
(サムエル記第二6:12~23)
神は
栄光に満ちている主でおられる
その方が
その御名の栄光のためにすべての働きをなさった
御子のために天の栄光を造り、
宇宙と万物を造られた(へブル1:2)
そして、
それらから栄光を受けようとされる(マタイ6:13)
人が存在するのは
ただその方の栄光のためであるし、
聖霊が来て助けられるのも
ただその方の栄光のためである(使1:8)
私たちの信仰は
主が受けることができる栄光をすべて集め、
心、思い、品性、力、命を
尽くすことである
このようにすることが主を愛することである(ヨハネ21:15)
主の御前ですることが
人々の目には目障りであったとしても、
主のための働きであるのならば、さらに激しく
歌って踊ろう
○ 人間の自尊心を捨てて、
主に仕えよう
主は私の霊魂のいのちでおられる
○ 主の御名を辱めないで、
自分の名をさらに低めよう
主は私の愛でおられる
○ エポテをまとって踊ったとしても
主にささげる踊りを恥ずかしく考えてはいけない
主は私の復活でおられる
※ 愛そう
主を愛そう
主イエスをさらに愛そう
【牧師コーナー(松竹岩)】 2018. 10. 21 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
イエス・キリストはこの世が見ることができない神を私たちに見せてくださった。私たちはその方を通して神を目で見た者であり、手で触った者であり、その声を直接、耳で聞いた者である。
私は神を知って証しし、神に会って証しする。これは私が聖書を信じるためである。神は私が卑しい人間として生まれてきたとしても私を選び、それによって私を証人としてくださった。私はこれを喜ばずにはいられないし、感謝しないわけにはいかない。80歳を超えたこの体にこれ以上、望むことがあるだろうか。主の御前で称賛を受け、慰めを受けることだけが私の願いである。
主は自分の口で語った約束をすべて守られた。私のような地獄の子を救ってくださり、律法の沼に陥って死ぬことがないように聖霊の法によって常に導いてくださる。これから私がすべきことは霊魂と肉体を尽くして主の御言葉を絞り出すことである。聞き慣れた主の声をいつすべて現すことができるであろうか。時間がとても足りない。
私は神について偽ることができない。私が伝えるのは私に知らされた「神の意図」である。無理やりにでっち上げて作り出された言葉ではなく、聖霊によって知らされた真理である。私はステパノのようにこの世で最も大きな福音を伝えなければならないし、すでにこの福音のために自分の命を主の御前にささげた。私が偽らないということをこの世は知ることができなかったとしても、私たちの中にはそれを知る者がいる。私はその人が私の言葉をまことの言葉と信じて聞いてくれることにまことの幸せを覚える。
イエスがこの世におられるときに、誰がその方の御言葉を神の御言葉として聞いたであろうか。その方の母だけがその方の御言葉を神の御言葉と信じて尊重した。息を引き取る御子の最後を十字架の下で涙を流すことなく、感謝をもって受け入れた。主はその心霊をよく知っておられた。
イエスが「女の方。そこにあなたの息子がいます。」といわれたときに、この世の人々はそれに関心をもたず、自分たちで祝宴を開いた。しかし、主は暗いよみに下って行き、3日後に死者の中から生き返られた。その方が神の右の座に着いている人の子でおられる。その方はこの世を裁くために再び来られる。
私たちは日々、すぐに来られる主イエスを待ち望む。その方は偽らない方でおられる。その方の御言葉は真理である。私はその方が神でおられるということをこの世に知らせるために選ばれた働き手である。私にもこの世の栄光があり、平安があるが、これらをすべて放棄したとしても私はステパノのように真理だけを証ししようとする。その真理を語る一言は私の体や人生をすべて投資したとしても比べることができない。私はステパノのように真理のために殉教する。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室