【質問】

教会で「イエスによって生きる。」という言葉をよく聞きますが、イエスによって生きるというのはどのようなことでしょうか?

聖楽宣教センターの回答です。

イエスによって生きるというのは神の御言葉によって生きるという意味です。私たちは常に神の御言葉をもっていなければなりません。常に神の御言葉によって生きようと決めなければなりません。神の御言葉を自分の知恵としようと決心しなければなりません。
イエスは御言葉をもって悪霊を追い出されました(マタイ8:16)。悪霊が最も恐れるのが神の御言葉です。悪霊を追い出すときに、悪霊は何というでしょうか? 神の御言葉さえ読まなければいいのにといわないでしょうか? 悪霊は神の御言葉に耐えることができません。イエスが悪魔の惑わしを受けられたときに、何によって試みを退けられたでしょうか? 主は3回も「書いてある。」といわれました。聖書に書いてある御言葉を主張されたときに、悪魔は引き下がりました。
神の御子でおられるイエスも今、私たちが使っている御言葉を主張されました。聖書に書いてある御言葉は悪魔の行動をすぐに中断させました。人々が苦痛を受けていたときにも、主は他でもない神の御言葉によって悪霊を追い出されました。御言葉によって悪霊を追い出したというのは言葉によって追い出したという意味ではありません。絶対的な神の知識によって、絶対的な神の法則によって追い出したという意味です。
悪霊を追い出してみると、悪霊がなかなか出て行かない場合があります。そのとき、私ははっきりと悪霊に「神がお前を呪われた。神がお前に出て行きなさいといわれた。」といいます。すると、悪霊は離れて行きます。私たちが神の御言葉によって生きようと決めたとき、悪霊はそれ以上、私たちを惑わすことができません。
人々が道を失ってさまようのは神の御言葉がないためです。信仰に混乱があるのも御言葉がないためです。心に不安があるのも御言葉がないためです。将来、どのようなことが起きるのかと心配するのも御言葉がないためです。神は御言葉を遣わして、私たちを滅びの穴から助け出してくださいます。人間が御言葉を離れる瞬間、敵が人間を支配します。それゆえ、私たちは御言葉によって生きようと決めなければなりません。これがイエスによって生きる者です。

(金箕東キムキドン 著 『悪魔論(中)-惑わしの霊とは』より)