【質問】

イエスを信じるのであれば、すべてのことがうまくいくのでしょうか?

聖楽宣教センターの回答です。

条件つきの信仰は悪魔のえさです。私たちがよく知らなければならないのは悪魔が神の子らの中にも来ているという事実です。悪魔は地を行き巡り、食い尽くすべき者を捜し求め、神の御前で熱心な者を見ると、訴えようとします。彼らがもっているものすべてを破壊して、彼らの信仰が条件つきであるということを現わそうとします。条件つきの信仰は悪魔に喜びをもたらしますし、神に失望を抱かせます。
宗教的な信仰や迷信的な信仰はすべて条件つきの信仰の変形です。宗教をもつにはもたなければならないが、近くに教会があるので、一度だけ出てみようと考えて教会に出て来る者が宗教的な者です。また、することがうまくいかなくて、神を信じてみればどうであろうかと考えて教会に出て来る者が迷信的な者です。このような人は巫女を呼んで祈祷をしてもらうかのように、牧師を呼んで礼拝をしようとします。
「先生、私の家の隣の人が、先生が来て一度でも礼拝をしてくだされば教会に出るといっています。」
信仰もないのに来て礼拝をしてくださいというのは、もはやその人の心の中が迷信的な考えによって占められている証拠です。もし牧師がそのような家に行って、ともに礼拝をささげてから、物事がうまくいくのであれば、すぐに噂が広がります。
「ああ、あの牧師を一度招いて礼拝をしてから、すべてがうまくいくようになりました。あの牧師を一度招いて礼拝をしてみてください。うまくいくでしょうから。」
人々はこのように礼拝をまるで巫女を招いて祈祷でもするかのように考えます。
「うるさくもないし、時間も短いし、お金もかからないし、本当にいい!」
迷信的な信仰をもった者は自分の問題だけが解決されれば、すぐに神を忘れてしまいます。物事がうまくいけばそれでいいといって、教会に出て来ません。
「先週、なぜ教会に出て来ませんでしたか?」
「最近、店にお客さんがあまりにも多くて。」
物事がうまくいかなくても、教会に出て来ないのは同じです。
「イエスを信じて、うまくいくことがあるのか? 何一つ意味がない。」
サタンが願うのは、まさにこのような条件つきの信仰です。私たちは神が願われる信仰がどのようなものであるのかを知ることができます。
「主はサタンに仰せられた。『おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」(ヨブ2:3)
神がサタンの前で正々堂々と紹介することができる信仰とは潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている信仰です。まさにこのような条件つきでない信仰をもった者が悪魔の計画通りにならないようにすることができるのです。

(金箕東キムキドン 著 『悪魔論(中)-惑わしの霊とは』より)