【質問】

神の御心がはっきりとしていたとしても、それを成就するためには祈らなければならないのでしょうか?

聖楽宣教センターの回答です。

私たちは信仰によって人間の限界と神の助け、力を調和させるが、祈りはこのために必要である。祈りは信仰の意志を現す法則である。
祈らないのであれば、人間がもっている願いが火のように熱かったとしても、神の御前で認められることはない。人間が何を必要としているのか、何を願っているのかを神が知っておられたとしても、人間が神を無視するのであれば、すなわち祈らないのであれば、神は応答を与えられない。
祈りは神を尊重し、神の力によって立とうとし、自分の弱点を補おうとする、人間の謙遜な態度であり、意志である。祈らないというのは神の助けを必要としないということであり、神と結びつこうとしないということである。
バプテスマがキリストと結びつくしるしであるのならば、祈りはバプテスマを受けた信仰の実践である。祈りは常にキリストと交わりをもち、その方の助けによって行おうとする、従順のしるしである。

(金箕東キムキドン 著 『教会論』「4.天国の鍵を受けた教会」より)