聖霊の人
(ヨハネの手紙第一3:13~24)
神は
愛でおられる
その方が
この世を愛して(Ⅰヨハネ4:8)
ひとり子を与えられたし、ひとり子は命を与えられた
これがまことの愛である(Ⅰヨハネ3:16)
愛は言葉によってだけなされるものではない(ヤコブ2:15~16)
舌は偽り者である(ヤコブ3:2)
愛は自分の命、すなわちいのちである(ヨハネ6:53)
神は自分のいのちを私たちに与えられた
イエス・キリストは神の愛でおられる(ヨハネ3:16)
これを証しして保証する方が(Ⅱコリント1:22)
聖霊でおられるが、聖霊が私たちの中にとどまることによって
主イエスが私たちの中におられるということを知る(Ⅰヨハネ3:24)
イエスは
神の愛でおられる(マタイ17:5)
私たちが
イエスを信じるというのは
神の愛を信じてその愛を受けるということである
神の愛は神の戒めである(ヨハネ13:34)
私の霊にその方がおられる
私の霊は私の「魂」を支配し、
私の「魂」は私の肉体を支配する
○ 罪の赦しをまず受けなさい
霊が救いを得る
○ 聖霊を受けなさい
霊が二度と死ぬことはない
○ 私の霊魂が幸いを得れば、体が健康になるし、
すべての点で幸いを得る
神の幸せによって幸せになる
※ イエスを信じさえすればいいという言葉は
罪の赦しを受けなければならないという意味であり、
聖霊を受けてこそ生きるという意味である
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 9. 29 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
おおいが顔に掛けられたままで見る者、そして、おおいを取り除いて直接、見る者がいるが、このうちの後者が、私たちが使命とする「還言」、ベレヤ信仰運動である。
以前は初めの契約の下で神をおぼろげに知り、たとえによってだけ知り、影だけを見ていたが、今ははっきりと神に会い、その顔を知り、その声を知り、その品性と愛を知る。そして、その方を私のいのち、私の救い主、私の神と告白する。その方は私たちの霊魂を生かしてくださったし、復活によってその永遠のいのちを直接、証ししてくださった。
信じて従い、その恵みを受けることによって、私たちもいのちの復活を得て永遠に生きるようになった。これが恵みの福音であり、真理である。真理は神の御言葉のすべてである。私たちはその御言葉の内面まですべてを体験した。真理とは父、子、聖霊の三位一体の働き、力、いのち、その中にある約束、創造、裁きをすべて知る信仰である。真理とは信仰である。
真理は聖霊によって悟る御言葉であり、霊的な御言葉である。律法は霊的な御言葉ではない。肉体の道理を伝えて監視する教訓である。これによっては霊魂を救うことができない。ただ真理によってだけ私たちの霊魂を生かすことができる。それゆえ、イエスは「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)といわれた。
真理とは神と同じように永遠に生きる者の栄光である。天と地、その下にあるどのような権勢も自由を妨げることはできないし、むしろ権勢が真理の前で自ら失われていく。私たちが信仰を得るときまでを福音といい、信仰をもったときに真理を知ったという。聖霊が私たちに来られる前にはこの世に真理がなかった。しかし、聖霊が来られることによって真理が知らされた。それで、聖霊を真理の霊という。
「還言」とは私たちの霊魂が宗教教育や宗教生活から神の御言葉、すなわち真理に還るという意味である。これは神が呼ばれたのである。神の御言葉に還ることを還言という。この世で誰が妨害しようとしたとしても、聖霊の助けを受けて真理の人となった者は永遠に自由である。視無言も常に真理によって自由である。それゆえ、神の幸せによって幸せである。
愛する聖楽人、そして、世界のベレヤ人のみなさん。私たちは肉体の命を差し出したとしても真理に還らなければなりません。還言、還言、還言しなければなりません。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室