
あなたは今日、私とともに
(ルカの福音書23:39~43)
神は
父でおられる
その方が
この世に御言葉を遣わされたのは私たちを救うためであった(ヨハネ12:50)
神の御言葉は永遠のいのちであり、復活である(ヨハネ6:68)
私たちがその御言葉を信じるのは永遠のいのちを得るためである(ヨハネ3:16)
永遠のいのちを得るためにはまず罪の赦しを受けなければならないし、
聖霊を受けなければならない(使2:38)
聖霊は死んだ者の中から私たちを再び生かす(ローマ8:11)
全人類は
主イエスとともに十字架につけられている罪人である(ルカ23:33)
それゆえ、
自分の霊魂を自分の運命に預けるのか、
イエス・キリストに預けるのか、(ルカ23:42)
選ばなければならない(申30:19~20)
悪魔はエバを惑わすときに「もしあなたが
神に逆らえば、あなたの目は開かれる」といった(創3:4~5)
それは知恵をもって自分の思い通りにすることができるという意味であった
その言葉を選んだ結果、霊魂は地獄の子となった
信仰は
主イエスを選ぶものである(ヨハネ17:3)
○ 永遠のいのちがなければ、信仰に何の意味があるだろうか
復活がなければ、何の意味があるだろうか
神を知る真理に何の栄光があるだろうか
○ 神は永遠のいのちのために御言葉を与え、
御子の血を与え、
聖霊を与えられた
○ イエスだけが真理である
この世の惑わしがもたらすのは滅びである
この世の富、栄光、名誉はすべて惑わしである
※ 今日の夜、地球を離れなければならないのであれば、
何を準備するであろうか
イエスであるのか、裁きであるのか、選びなさい
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 10. 06 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
神の御言葉が神とともにあった。その御言葉がこの世に現れた。これを光といった。神の光は神の血である。しかし、この世はその光にとどまらないで、暗やみにとどまる。神の血に近づいたアベル、神の血についての模型を知ったアブラハム、神の血をもって直接、臨まれた神の御子イエス・キリストはこの世に照らされた光であった。
私たちはその光をもった。その血を信じて迎え入れた。それによって「神が自分の民を罪から救われる。」という意味をもつ、その名が私たちの中にとどまるし、その名を通して聖霊が入って来ておられる。聖霊は光について、神の血について証しされる。イエスはこの世に来られた光である(ヨハネ8:12)。この世に来られた神の血である。その血と光の名を「イエス」といい、その光を真理という。
真理は神の血をいう。その血を真理という。獣の血によっては霊の罪が赦されることはない。獣の血はただ肉体の規定であり、霊の救いの影に過ぎない。「イエス」という名は真理である。それゆえ、イエスは「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)といわれた。神の血は私たちを死から、罪から永遠に自由にする。神の光は罪から、死から、暗やみから私たちを解放する。「イエス」という名は神の民を罪から救い、まことの自由を得させる。
これが真理である。真理だけが自由を得させる。聖霊は真理の霊として私たちを永遠に自由にする。それゆえ、聖霊に満たされるというのは神の光に満たされるということであり、神の血に満たされるということであり、イエスの名に満たされるということである。これが真理を知って信じて体験するということである。
私はこの真理を知ったときに自分の命を差し出した。真理のために証人にならなければならないという使命をもった。いつの間にか半世紀が過ぎ、60年が目の前に迫ってきている。私は愚かであるために、迫害を受けているのではない。イエスのように真理を語るために、この世から憎まれ、身震いして逃げる悪霊から憎まれている。
聖楽人、ベレヤ人はこの使命から離れて普通の教会に転落してはいけない。真理を知ったのちにことさらに罪を犯してはいけない。光を証しすれば、その分だけ抵抗を受けるが、迫害とともに祝福を100倍、受ける(マルコ10:29~30)。
私たちは真理を知る真理の人となろう。命を差し出して、この世の栄光を差し出して、名誉を差し出して、真理の人となろう。主よ! これは私の願いです。アーメン。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室